《自分のしたことは何でも返ってくるもので、何もしなければ何も返ってこない。 何か来て欲しいと望むものがあれば、まず自分で自分に与えようと何かしたらいい。 そして、結果は求めすぎないのがいい。》
努力は自分を裏切らない。
という言葉が好きだった。
膨大なタスクをこなせば結果が出せていた。自分なりに少しアレンジしてタスクに色をつけると、よりいっそう努力した感が出る。学習やスポーツにおいて、与えられたある一定のタスクこなすと、たいていは上の下、時には上の中くらいの結果は出せた。
高校、大学進学又は試験合格のための努力。
目的が「合格」だから、そのために努力するというのは非常に明確で分かりやすい。
努力した結果が「合格」として出るのだから「努力は自分を裏切らない」と確信していた。
そんな純粋な気持ちから大人になるにつれ、あれ?なんか違う?と思うことが増えていく。
自分が努力したことが何でも成功して返ってくるわけではない。
何もしなければ何も返ってこないが、それがむしろ好都合の場合もある。
■「親切にしたから」と言って、自分も親切にされるとは限らない。
■「協力したから」と言って、協力してくれる保証はない。
■「後輩に奢ったから」と言って、後輩が慕ってくるかはわからない。
人が親切にされたら、大抵の人は嬉しく思い、相手に感謝し、お礼を述べる。
でも、どうしてもすぐに返事を伝えられない事情のある人や、もともとそういう気持ちがない人もいる。事情のある人は別としても、人の好意にピンとこない人だっているのだ。全ての人間関係は「ギブ&テイク」「利害関係が一致すること」で成り立ち、上手くいくのだと思う。
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ここで大切なことは
「自分のやったことに対して、結果を求めすぎない」
ということ。
「これを渡したらきっと喜んでくれる」
「気持ちを伝えればきっとわかってくれる」
「ここまですると、気づいてくれるはずだ」
と、自分のしたことに相手がどんな気持ちでいるのか考えるのは、とても楽しいことだが、自分のしたことに相手が応えてくれるだろうと期待し始めると、思うような見返りが返ってこないことに疲れてしまう。全てが中の上、上の下などと分かりやすく結果が出るとは限らないし、思わしくない方向へ向かうことだってある。
だから「結果は求めすぎないのがいい」のだ。
この世には、努力をしても報われないことがたくさんある。
でも、たくさんあると感じるのは「自分のしたことは何でも返ってくる」と見返りを期待しすぎているからだと思う。
若い頃好きだった「努力は自分を裏切らない」という大雑把な言葉を、今では対象は自分自身にのみ、誰がなんと言おうと自己満足の世界で、自分を労う言葉としている。
「望むものがあれば、まず自分で自分に与えようと何かしたらいい」
自分に与える、というのだから、親切にした相手のことよりも、自分に重点をおいている。