豊かなココロと卑屈な気持ち ~麗生🖤leopeolily

「ココロが豊かになる言葉」を解釈してみました。言葉1つ、考え方1つで癒されます。ココロ豊かに過ごしましょう。

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求めすぎず、期待しすぎず、まずは自分の行為を褒めたらいい。  ~麗生🖤




「言葉1つ」「考え方1つ」でココロ豊かに過ごしましょう。

少し卑屈でごめんなさい_(_^_)_





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《自分のしたことは何でも返ってくるもので、何もしなければ何も返ってこない。

何か来て欲しいと望むものがあれば、まず自分で自分に与えようと何かしたらいい。

そして、結果は求めすぎないのがいい。》

見返りを求めすぎず期待しすぎず、まずは自分の行為を褒めたらいい。~麗生(れお)
見返り

努力は自分を裏切らない。

という言葉が好きだった。
言われた通りにこの膨大なタスクをこなせば結果が出た頃。自分なりに少しアレンジしてタスクに色をつけると、よりいっそう努力した感が出る。学習やスポーツにおいて、与えられたある一定のタスクこなすと、たいてい上の下、時には上の中くらいの結果は出せた。


高校、大学進学又は試験合格のための努力。

目的が「合格」だから、そのために努力するというのは非常に明確で分かりやすい。
努力した結果が「合格」として出るのだから「努力は自分を裏切らない」と確信していた。


そんな純粋な気持ちから大人になるにつれ、あれ?なんか違う?と思うことが増えていく。


自分のしたことは何でも返ってくるわけではない。
何もしなければ何も返ってこないが、それがむしろ好都合の場合もある。


子供を育てる上で、子に見返りを求めることなんてない。それ以外の全ての人間関係は「ギブ&テイク」「利害関係が一致すること」で成り立ち、上手くいくのだと思う。



「自分のしたことが何でも返ってくる」と思っても悪くはないが、捉え方によっては自分が傷つき、落胆する場合がある。
それゆえ、「自分のしたことが何でも返ってくる」と思う場合、それは自分自身にのみあてはまる事だと認識しておきたい。


■「親切にしたから」と言って、自分も親切にされるとは限らない。
■「協力したから」と言って、協力してくれる保証はない。
■「後輩に奢ったから」と言って、後輩が慕ってくるかはわからない。


人が親切にされたら、大抵の人は嬉しく思い、相手に感謝し、お礼を述べる。
でも、どうしてもすぐに返事を伝えられない事情のある人や、もともとそういう気持ちがない人もいる。事情のある人は別としても、人の好意にピンとこない人だっているのだ。


ここで大切なことは

「結果は求めすぎない」

ということ。



まずは何かしようと動いた自分を褒めたらいい。何かしようと決意して、準備して、実行する。それが誰かにプレゼントを渡すことだとしたら、あなたはそれを渡すまでの間に、多くの時間を使っただろう。
渡した相手がどんな形で受け取ろうが、あなたが相手にプレゼントを渡したという事実は消えない。
ストーカーなど迷惑行為は別として、相手が喜んだかどうかも別として、あなたの好意は伝わっている。

それで十分ではないか。

「これを渡したらきっと喜んでくれる」
「気持ちを伝えればきっとわかってくれる」
「ここまですると、気づいてくれるはずだ」

と、自分のしたことに相手がどんな気持ちでいるのか考えるのは、とても楽しいことだ。しかし、自分のしたことに相手が応えてくれるだろうと期待し始めると、思うような見返りが返ってこないことに疲れてしまう。全てが中の上、上の下などと分かりやすく結果が出るとは限らないし、思わしくない方向へ向かうことだってある。


だから「結果は求めすぎないのがいい」のだ。



この世には、努力をしても報われないことがたくさんある。
でも、たくさんあると感じるのは「自分のしたことは何でも返ってくる」と見返りを期待しすぎているからだと思う。



若い頃好きだった「努力は自分を裏切らない」という大雑把な言葉を、今では対象は自分自身にのみ、誰がなんと言おうと自己満足の世界で、自分を労う言葉としている。


「望むものがあれば、まず自分で自分に与えようと何かしたらいい」


自分に与える、というのだから、親切にした相手のことよりも、自分に重点をおいている。

大切な自分と、自分の気持ちを大切するために。

まずは、あなたのココロを豊かにする事が、1番大切だと思う。