豊かなココロと卑屈な気持ち ~麗生🖤leopeolily

「ココロが豊かになる言葉」を解釈してみました。言葉1つ、考え方1つで癒されます。ココロ豊かに過ごしましょう。

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努力と結果は直結しない。思わぬ所で努力の成果が現れる。 ~麗生🖤



「言葉1つ」「考え方1つ」でココロ豊かに過ごしましょう。

少し卑屈でごめんなさい_(_^_)_




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《努力して後悔した人を見たことがない。練習して下手になる人もいない。勉強して馬鹿になる人もいない。何かをして変わった人はいても、何もしないで変わった人はいない。》

努力と結果は直結しない。思わぬ所で努力の成果が現れる。~麗生(れお)
努力が報われるとき

【努力したのに…( ノД`)シクシク…その1】
好きな人とお近づきになりたいと努力した。その人と話す時の会話のネタになるドラマを見たり、ドライブやツーリングを楽しめるよう行先のリサーチもした。さわやかさを全面に出せるよう笑顔にも気を配り、服装の色や靴の汚れを気にするようにもなった。
しかし。努力している最中、好きな人にはパートナーが出来ていた。


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【努力したのに…( ノД`)シクシク…その2】
毎日早起きして朝練をしていた。水の冷たいプールに朝早くから入って毎朝40分泳いだ。どうしても速く泳げるようになりたかったから、夕方の部活も真面目に練習し、人より何倍も多く泳いだ。ただガムシャラに泳ぐのではなく、コーチと綿密に計画を立て、効率よくやっていた。
いつも一緒にいる同期は天才だった。練習なんてほとんどしないのに、自分よりダントツに速く泳ぐ。中学から高校まで、結局その同期を抜くことはできなかった。

【努力したのに…( ノД`)シクシク…その3】
勉強を全くしないわけではなかったのに、兄姉が進学した学校に通うことなど考えられなかった。兄姉の学校にかすりもしない成績を維持したからそういうことになったのだが、気を取り直して勉強したところで「自分は落ちこぼれだし」と卑屈な気持ちが自分を襲い、各種試験も点数を取るだけで、学習が身に付いているという実感は全くなかった。

まぁ自分の後悔を挙げるとキリがない。努力をした結果の後悔なのか、中途半端な努力でそうなったから諦めているのか、初めからそんなこと望んでいなかったと叶わなかった結果をさも当たり前のように受け止めていたのか、そういうフリをしていたのか。

どうなんだろう?

当時、近くにいた友人や大人たちは、卑屈な自分に慰めの言葉をかけてくれていたのだが、どんな言葉をかけてくれたのか、はっきり言って覚えていない。

・・・

いや、思い出した。

最後の「落ちこぼれ」の時だけ。


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「鶏口となるも牛後となるなかれ」

  → 大きな団体で人の尻についているより、小さな団体で頭になる方がいい。


卑屈になっていた自分に、父がかけてくれた言葉だ。明らかに出来の悪い自分を責めるわけでもなく、呆れるわけでもなくこう言った。頭ごなしに出来の悪さを責められたわけではないので、なんとなく「まぁそれもそうか」と納得できた。
父の話になんとなく納得できてからは「とにかくテストの点数だけはとってやろう。」と開き直って、試験が近くなるとやる気を出し、勉強が身に付くかどうかは別として、高得点をとることだけに集中した。自分の暗記力を頼りにひたすら暗記し、応用問題さえも暗記し、「基礎ができていないと解けない」という問題さえあてはめて回答した。結果として学年500人中1桁の成績をとることもあった。
勉強以外、父の言う「鶏口となれる」明確な目標が見つからなかったから成績にこだわった、という事なのだが、はたから見ると「素行は悪いが成績はいい」面倒臭い生徒だったと思う。教師から悪い素行は注意されたが「だからお前は○○なんだ」など、理不尽な恫喝は受けなかった。成績の良さは、思わぬところで自分を救っていた気がする。

結局、勉強することに納得し、それぞれしっかり理解した上で点を取っていた訳ではないので、学習は全く身に付かなかったが自分の暗記力だけは、どの社会でも通用したし、自分が努力して得た通知票の成績は、自分の自信に繋がった。


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人が努力をする時、たいてい何かしら目標がある。

でも、その努力は、その目標に直結した結果になるとは限らない。
そうすると、望まない努力の結果を「ムダだった」「やらなきゃよかった」と卑屈に受け止めてしまう事もある。

しかし、

積み上げた努力の成果は、人生のどの場面で生かされるか、発揮されるかわからない。

【努力したのに…( ノД`)シクシク…その1】にあるように、好きな人とお近付きになりたいと努力している最中、その人にはパートナーができて自分は失恋したが、しばらくしていい人に出会う事ができた。

【努力したのに…( ノД`)シクシク…その2】では、水泳競技で勝つことはできなかったけど、仲間から信頼されたし、先生にも頼られた。人望を得ることができた。

■ 「よくやったよ、お前の努力がわからん奴がいるのなら、そいつはその程度の人間だってことだ。」
■ 「ダメだったら帰ってこい。」
■ 「悩みなんて、時間が解決するから。」

これらも、卑屈になっていた自分にかけてくれた父の言葉だ。

父は、子である自分を絶対否定しなかった。

無茶をさせようとはしないが、止めもしない。あらゆる悩みは必ず解決するという適当な言葉は、要所要所で自分を救ってくれた。
そして、自分自身が努力したと思える事があるならば、努力した内容とまったく関係ない世界で発揮されることもある、何か努力するというのは自分を良い方向へ変わるためのプロセスであり、ステップなんだと、自分で自分を認めることが出来るようになった。

自分は犯罪を除き、人が経験することで無駄なことは1つもないと思っている。
努力したことほど叶わなかったら落ち込むし、ショックも大きいけれど、思わぬ所で努力の成果が現れるものだ。

人が努力して思うような結果が得られるなら、それほど嬉しい事はない。
思うような結果にならなくても、必ず将来の自分の何かに繋がっている。
努力したその成長エネルギーが、人生のいつどの場面で溢れ出すかわからない。

だから、何かやってみようと思ったのなら、それをとことんやってみたらいいと思う。

何かをして変わった人はいても、何もしないで変わった人はいない。

今その時に、努力の結果が出なかったとしても、努力が報われる時は必ず訪れる。
努力は自分を裏切らない。きっと「ココロ豊か」に感じられる時が来る。


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