《自分の中に幸せの基準を作ろう。自分の人生を信頼することができる。》
まわりからの尊敬や高収入を得ることが幸せだと思っていると、それを失うだけですぐ不幸になってしまう。自分の人生を信頼するとは、
「幸せになるための出来事しか起こらない」
と信じること。
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今や共働き世帯は珍しいことではない。
昭和55年から共働き世帯は増加し、平成9年には男性雇用と無業の妻世帯を上回って逆転し、現在では1109万世帯の共働きに対し、専業主婦の家庭は648万世帯ほどになっている。
こんなに共働きの世帯が増えているにも関わらず、今でも「お母さんが子供をおいて働きに出るなんて」「こどもが可愛そう」などと言う人もいる。
そうは言っても、共働きの親たちが子供たちと一緒に過ごす時間が短い分、親子の時間を有効に使っている家庭が多いように思う。
ある統計から、首都圏で夫婦と子2人が生活するためには年収650万必要なのに対し、サラリーマンの平均年収は450万という事を知った。この現実に近い家庭モデルの統計から判断しても、生活のために共働きが必要ということは想像できる。
子を抱えて生活していく中、生活費が全然足りない、生活していけない、だから共働きなんだ、と卑屈な考えで文句を言ってしまいそうだが、自分の周りにいる共働きの方々は、こんな卑屈で悲壮感漂う様子で仕事をしているようには見えない。そういう卑屈な気持ちもあるだろうが、そんなふうに感じさせない。
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共働きの親には、「うちの子は、保育園の先生に半分育ててもらっている」と先生方に感謝している方が多い。そして、家庭とは別に、会社という別の場所で自分の能力を発揮しようと奮闘する親を素晴らしいと思う。「家族のために働く」とは、父母両方の親に当てはまる言葉だし、夫が外で稼ぎ、妻は家庭を守るという、完全分業が家庭のスタンダードだった時代に言われていた「一家の大黒柱」という表現も、もはや一般的ではないだろう。
生活費の事だけを言えば共働きがいいに決まっているが、片働きでどちらかが家にいるのなら、片方の親が子育てや家事に専念できる。「おかえり」と言ってくれる人が常に家にいてくれるのも嬉しいことだ。
どちらがいいのか、必然的にそうしているのか、
これはそれぞれの家庭の、それぞれの考え方による。
自分の中の幸せの基準が「共働きで稼ぐこと」なのか、「片働きで完全分業を全うすること」なのか、自分達の幸せの基準をどこに置くかで環境は変わる。そうして得た幸せの積み重ねは、自分の選択した人生を信頼することができるようになる。
他人に「共働きだと子が淋しそう」とか「片働きで節約ばかりで大変そう」などとやかく言われようが、自分の幸せの基準がしっかりしていれば、他人の言葉に振り回されることなどない。
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「幸せになるための出来事しか起こらない」
と信じて生活していても、幸せではない「不幸」なことにも遭遇する。
しかし、世間的に見て不幸にみえることも、後になってみればより幸せになるためのきっかけだったり、環境が変わって再出発するきっかけになることもある。
離婚、リストラ、病気などは大きな不幸の代表格だろうが、そういう危機的状況をきっかけに、自分の事がよく理解できるようになる。その結果、以前よりももっとふさわしいパートナー、仕事、収入や健康を得られるようになったりする。
自分の中に幸せの基準を作ろう。自分の人生を信頼することができる。
幸せの基準を考えるだけで、ココロが豊かになりそうだ。