《松下幸之助は面接で「あなたはこれまで運がいい人生でしたか」と尋ね、「運がよかった」と答えた人だけ採用したという。「運が悪い」と思っている人は悲惨な人生から抜け出せない。人生を悲観していてもいいことは一つもない。「ろくな才能は持っていない」「この環境が悪い」と自分で自分を沈めてしまう人がいかに多いことか。残念なことだ。》

「運がよかった」
と答えた人には「例えば?」「どんな時に?」と尋ねたくなる。
「怪我して入院したけれど、担当の看護師さんとお付き合いすることになった。」
「受験に失敗したけど、進学した学校では常に成績上位を維持できたので、就職は有利だった。」
へぇ~そうなんだ。そりゃいいね。
と、聞いているこちらも嬉しくなる。ココロ豊かになれる。
「運が悪かった」
と答えた人に理由を尋ねると、確かに残念な出来事に遭遇したと同情はするけれど、たぶん話は続かない。不幸自慢、他人の噂や愚痴なんかも、限度を過ぎれば面白くない。
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「怪我して入院」したのは運が悪かったかもしれないけれど、「彼女ができた。」
とか
「この環境が悪い」と感じたから転職して引っ越した。
など。
「運がいい人」にはプラスアルファの思考と行動力がある。
思考段階で完璧なものを描いていたとしても、行動段階で失敗したり後悔することはよくあることだ。運のいい人は失敗も恐れない。失敗したらそれを攻略しようと考えて、改めて行動する。その繰り返し。「あー。計画どおりにいかない。なんて運が悪いんだ・・・」で終わらずに、運を自分で掴みにいこうとする。
「運が悪い」
と思うことは悪くない。でも、そう思う人は、いつやってくるかわからない「運」に高望みし過ぎるから「ろくな才能を持っていない」とか「環境が悪いから」などと「運の悪さ」を他の何かのせいにしてしまう。
宝くじをバラで3000円分購入して300円が当たった時、「運がよかった」と思う人。「300円かよ、運ないわ」と思う人。
「300円か。ゼロよりいいじゃない。運がいいね(^∇^)」
小さな運に気付いて喜べる人、
そんな人を採用しようと思う人も、ココロ豊かな人だなぁと思う。