《自分はたいしたことがない人間だなんて思ってはならない。まずは自分を信じて、尊敬することから始めよう。そうすれば、人として軽蔑されるような行為をしなくなる。そうしてうまくいったのなら堂々としていればいい。失敗したら練習だったと思えばいい。頑張ってうまくいかなかったとしても、頑張らなければもっとうまくいかなかったのだから。》
自分を信じて尊敬することは、自分の可能性を大きく開拓し、
それを成し遂げるにふさわしい力を与えることになる。自分の人生を全うさせるために、まずは自分を信じて、尊敬することから始めよう。
「自分はたいしたことがない人間だなんて思ってはならない」
と言っておきながら、自分はどうなのかと問われると、つい最近まで僕は素の自分に自信がなかった。
僕にはもともと「△△という成果を出しています。」「○○で賞をとりました。」というような自己満足できるような功績もないし、周囲の人が「へぇ、そうなんだ」と思えるような戦績などもない。なので、近しい人たちが仕事、副業、投資やスポーツなど、それぞれ活躍してうまくいっている話なんかを聞くと、羨ましい気持ちから「自分は大したことないな」と、なんとなく卑屈な気持ちに苛まれることが多かった。
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以下の確率をどう見るかは人によるけれど、
周囲が「へぇ、そうなんだ」というほど成功されている方々のうち、例えば起業して5年後、その会社を継続して成功させている確率は15%ほどらしい。10年後は6%、20年後はさらに減って0.3%なのだそう。株式投資での成功者は10%、FXでいうと10~20%、スポーツ選手のうち、プロ野球選手になる確率は0.16%、プロバスケットボール選手は0.003%、プロサッカー選手にいたっては0.00003%・・・
これらの数値を見た上で、それと比べて「自分はたいしたことない人間だ」などと思うだろうか。あえて極端な比較対象を紹介したけれど、「たいしたことある、ない」の幅は、際限なくあるように思う。
比較対象をもう少し身近なところに掘り下げて考えるとしたら、学生時代の学業や部活内での成績や戦績、社会人としての成功や失敗、自身の結婚歴など、他人の功績や隣の青い芝と自分の芝を比べたりすることだろう。
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僕は自分に自信がなかったから、やたらと資格取得にこだわった。
しかし、転職する予定はないし、定年したあとに何をするかもわからないから、この先一生使わない資格もあるだろう。資格取得の目的として適切ではないかもしれないが、「資格持ってます」と武装することで自分の承認欲求を満たし、頑張った自分を頑張ったと自画自賛して「自分は大したことがない人間だ」なんて思う頻度はかなり減ったように思う。卑屈な考えが浮かぶのは、自分とほかとを比べるからだ。
人の人生は人の数だけある。
マスコミや世間が作った基準に自分自身を当てはめて「たいしたことある、ない」と自分で線引きして一喜一憂するなど、そんな無駄な比較などしなければいい。
ほんの一握りの成功者の確率を見ても、他人の功績と自分の芝を比べてみても、今の自分をそこにあてはめるなんて無駄なことだ。
それよりも、自分で自分を認めることができれば全てうまくいく。それで十分なのだ。
まずは自分を信じて、尊敬することから始めよう。そうすれば、人として軽蔑されるような行為をしなくなる。そうしてうまくいったのなら堂々としていればいい。失敗したら練習だったと思えばいい。頑張ってうまくいかなかったとしても、頑張らなければもっとうまくいかなかったのだから。
🌸母の「ココロが豊かになる言葉集」からもうひとつ。
《自分自信を慈しむ》
なかなか自分自身に対して優しくすることができません。そうであっても「自分はダメだ」と責める必要もありません。足りないものを補うための努力をする必要もないのです。私たちは、今のままで既に十分に足りています。足りないものを補うのではなく、もっと自分自身の本質を輝かせる方向に進めばいいのです。偉大な自分自身になることに遅すぎることはありません。
豊かなココロで。
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