豊かなココロと卑屈な気持ち ~麗生🖤leopeolily

「ココロが豊かになる言葉」を解釈してみました。言葉1つ、考え方1つで癒されます。ココロ豊かに過ごしましょう。

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等身大で頑張ろう。「常に完璧」「頑張り過ぎ」は疲れてしまう。  ~麗生🖤




「言葉1つ」「考え方1つ」でココロ豊かに過ごしましょう。

少し卑屈でごめんなさい_(_^_)_





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《常に完璧を目指していたり、頑張り過ぎる人を見ていると、辛くなる時がある。等身大、ほどほど、というのも大切。普段は等身大の自分で頑張っているくらいの方が気持ちのいいものだ。》

等身大でがんばろう。常に完璧、頑張りすぎは疲れてしまう。~麗生(れお)
等身大でほどほどに。

数年前に大幅な人事異動があり、

若くして有能な社員がやってきた。東京都心の有名な高校→大学を卒業した、頭のキレる20代後半の社員だ。この社員の使う言葉は非常に丁寧すぎて馴染みがないほど上品なのだが、誰が相手だろうとはっきり「違います!」を連発する口ぶりが印象的で、仕切りのない大きな事務所内で、この「違います」攻撃がいつ自分に向けて発せられるのかと、緊張感のある毎日を過ごすことになった。この社員は何も知らない若造と言うわけではなく、「違います」の内容もほぼ的を得ているので、多くの社員がいる前で間違いを指摘され、次に恥ずかしい思いをするのは自分なのではないかと緊張感を持ち始めたのは、自分だけではなかったはずだ。

この社員はよく働くし気が利く。

こちらの事務所に異動になって間もない頃から、会社の規則や制度をよく調べるし、仕事の速度も早かった。事業でチームを組むと、突発的な事態にも欲しい情報を早くに入れてくれるので、とても頼りになった。
その事業が終了し、数人で打ち上げに行くことになった。店の手配など事前の準備は違う社員がやっていたのだが、その社員は打ち上げ中、飲み物の追加注文や空いた皿を下げるなど、相変わらず気の利いた動きをしていた。みんな気の緩んだ状態で楽しく飲んでいたところ、とうとう自分も「違います」の洗礼を浴びる時が来た。

この社員が大学在学中に専攻していた学部について質問したときだった。

自分「その学部の○○というのは△△ということか」

社員「いえ、違います!□□です。」

自分「どちらかと言うと▽▽に近いのか」

社員「いえ、違います!

自分「そうか…」

社員「うーん…違うんですよね、〇〇は・・・(つづく)」


自分の解釈では□□も▽▽もそれほど大きな違いは感じられなかったのだが、学部の理解でさえ寸分の狂いも許せないこの社員に対し、興味本意で「学部」の質問をし、なんとなく理解しようとした自分を悔いた。

「ごめんごめん、興味本意で聞いてしまった、今の学部は細分化されて私には理解できないな。ははは」

と言って話をやめた。


まじか。
仕事だけでなく、プライベートもこれなのか。
これはさすがに疲れるな。


常に完璧を目指していたり、頑張り過ぎる人を見ていると、辛くなる、疲れることもある。
時にはチームの足を引っ張ることもある。
等身大、ほどほど、というのも大切だ。やる気に満ち溢れた若い社員が、チームワークを乱す原因となるのは忍びない。

別の日、結局自分はその社員に


「解釈によって、答えが変わる場合もあるのだから、頭ごなしに「違います」と指摘する必要はない。違うと思うなら、教えてもらう感覚で話を持っていく方が、人を相手にする仕事のやり方としてはマル。」

「普段は等身大の自分で頑張っているくらいの方が気持ちのいいものだ。」

と、伝えることになる。


自分の助言をよそに、この社員の「違います」はまだしばらく続くかもしれないが、それが自分のやり方だと自信と信念を持って貫くなら、それはそれでいいと思う。「なにか違う」と思う時がくればやり方を変えるのだろうから。


自分もやる気に満ち溢れ、

「はい、やります、がんばります!」

と言って何でも興味を持って先輩にくっついてまわっていた若かりし時期も確かにあった。
もしかすると、やる気に満ち溢れる純粋な若者を羨ましく、疎ましく思っていた先輩方もいたのかもしれない。

自分を振り返ってみると、この社員の優秀さは持ち合わせていなかったにせよ、年を重ねるにつれ、仕事だけではない人間関係の様々なことに気づき、空気を読み、心地よく過ごす術を身に付けてきたな、と思う。


こう考えると、「等身大、ほどほど、というのも大切。普段は等身大の自分で頑張っているくらいの方が気持ちのいいものだ」というのも納得できる。

なかなか加減が難しいけれど。


人を育てるというのは、対象が子供であっても大人であっても気を使うし、千差万別難しく、大切なことなんだな。


と、また自分に向けて発せられるかもしれない「違います!」にビビりながら、しみじみ感じる今日この頃であった。