《自分と他人を比べて何の意味があるのでしょう。生まれも性別も年齢も人種も何もかも違うのに。比べるなら過去の自分と今の自分を比べよう。そして、昔できなかったのに、今できる事を見つけよう。》

自分と他人を比べるとき、似たような環境にある人と比べるものだ。
サラリーマンが料理人と料理の技術について競い合ったり、小学生と大学生の体力を比べたりしない。
モデルの世界の人ならば、モデルの世界でそれぞれの健康美を比べるだろうし、高校や大学受験中の学生なら、それぞれ志望校入学を目指している者同士が成績を比べ合う。
同じ環境にいる似たもの同士が、目指すものについて比べ合って切磋琢磨し、自分の能力や技術を伸ばしていけるなら、自分と他人を比べることはいいことだと思う。
目的を見失なわずにいることが大切だけれど。
「あいつにだけは負けたくない」と試験結果の優劣にこだわりすぎると、志望校へ合格し、選考した学部で学ぶという本来の目的を見失ってしまう。目的は「あいつに勝つこと」ではなく、まずは受験に合格する事のはずだ。
だとすると、比べる相手は「あいつ」ではなく、「過去の自分」となる。
2か月前に受けた模試の結果と、12月に受けた模試はどうだったろうか。根詰めて学習した結果が反映されているだろうか。今までずっとE判定だった科目が、C判定になったとか、手を抜いた科目は何も変わらなかったりむしろ下がったり。その過去の自分の成績と比べて次に繋げることができるなら、「比べる」ことに意味がある。
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毎年11月頃に実施される試験を受験した生徒がいる。
この時期の大学受験は力試しにもなるからと周囲に促されてなんとなく申し込みをしたが、もともと合格するとは思っていなかったし、その大学に入学することを熱望していたわけでもない。真面目に取り組まなかったわけでもないが、結果不合格。
予想通りといえばそうなのだが、不合格だった。
希望した大学ではないにしろ、「不合格」はやはり悔しかったらしい。
翌年、今度は自ら受験を志願し、一次合格を手にしていた。
結果この生徒は、「不合格」だった過去の自分を征し、当時と比べてレベルアップしたことになる。
合否はともかく、
普段の学習態度から「あいつは頑張っているのに俺はそうじゃない」とか、周りの生徒たちと比較して、「がんばっていない自分」を卑下し、卑屈な気持ちになったりすることもあるだろう。合否結果は事実だし、目に見える周囲の学習態度を情報として仕入れるのは構わないが、自分と他人を比べたところで何の意味もない。
周囲は成績を上げているのに自分はずっと変わらない、と他人と比べて焦るくらいなら、過去の成績と今の自分の成績を比べて分析し、どうしたらいいか考えればいい。
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自分と他人を比べて何の意味があるのでしょう。生まれも性別も年齢も人種も何もかも違うのに。比べるなら過去の自分と今の自分を比べよう。そして、昔できなかったのに、今できる事を見つけよう。
年を重ねるにつれ、自分の過去が増えていく。その分、昔できなかったのに、今できる事もぐっと増えている。
少し前の自分、数か月、1年前の自分に振り返ってみたら、必ずレベルアップしている事があるはずだ。
他人と比べて卑屈になり、自信を失いそうな時、
自分の過去を思い出して振り返ってみるといい。思いつかなければ、誰かに聞いてみたらいい。
「集中する時間が長くなったよね」
なんてことを言ってくれるかもしれない。これらは自分で気づきにくい変化だ。
自分が当たり前と思って習慣化してきたことでも、他人から見ると到底真似できない素晴らしい変化だったりする。自分以外の人に自分について聞いてみると、全然違う視野から見てくれていることもあり、自分について気付かされることが多いものだ。
他人と比べて卑屈になるくらいなら、過去の自分と今の自分を比べよう。
昔できなかったのに、今できる事は必ずある。
そうしていくと、自分と他人を比べても意味がないということに気付くだろう。
どうか、過去の自分をいたわって、今の自分に勇気を与えてほしい。
自信がついて、ココロが豊かになる。
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