豊かなココロと卑屈な気持ち ~麗生🖤leopeolily

「ココロが豊かになる言葉」を解釈してみました。言葉1つ、考え方1つで癒されます。ココロ豊かに過ごしましょう。

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信頼されている人の特徴② ~麗生🖤



「言葉1つ」「考え方1つ」でココロ豊かに過ごしましょう。

少し卑屈でごめんなさい_(_^_)_




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《信頼されている人の特徴②》

6 人を追い込まない、せまらない。
7 人の出来るできないか、ではなく、したいかしたくないかを大切にしている。
8 評価されにくい裏方を評価する。

信頼されている人の特徴②人を追い込まず、人のしたいかしたくないかを大切にし、裏方を評価する。 ~麗生(れお)
信頼されている人②

信頼されている「上司」の特徴、という「上司」の部分を「人」に変えて考えてみる。
人として信頼できる人が上司だろうが部下だろうが、老いも若いも女性も男性も関係ないだろう。「信頼されている人」がどういう人なのか、考えてみる。
 
→ 前回の投稿に引き続き、中盤です。

6 人を追い込まない、せまらない。

 自分は人を追い込んだことがある。若手の技術指導をしていた時だ。技術指導は年に1回、2~3週間程行われる。自分は指導専門ではなかったが、人手が足りなかったり、技術指導の成果が良いとか指導する内容の評判がよければ準指導専門として呼ばれることもある。

いくつかある科目のうち、プレゼンの実技も組み込まれていた。たった2~3週間の研修でしっかり技術を学ぼうとすると、予習や下準備が大切になってくる。この研修は、正社員になってから1年後、全員受けなければならない必須のものだから、研修が始まるずっと前から下準備はできる。
例年と大きく変更のないプレゼンのテーマを与えられるものの、制限時間の中でどう発表していくか。行き当たりばったりでこなせるものではない。

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自分が指導を任せられた年の参加者の中で、明らかに準備不足の人がいた。前年参加者の資料を真似て使用したのはいいとしても、自分のものにしていない。自分がそれを理解して自分のものにしていないから、出てくる数字や状況の根拠が不明確で、適当にやっているのが見え見えだった。
自分はその適当にはめたと思われる数字と状況の関連性や、昨年と現在の変化など、その参加者に多くの質問をした。答えられないことをわかって質問したのだ。1つ2つの質問なら質問された方もなんとか答えようとするが、いくつも答えられない質問を投げ掛けられると、いよいよ黙ってしまう。

沈黙がしばらく続いたあと、他の指導員が「休憩いれましょうか」と明るく声を発した。
その指導員、休憩中に自分のところへやって来て「厳しいスね~、萎縮させちゃ意味ないから追い込んじゃダメですよ~」と耳打ちしてきた。
これを言われてハッとした。確かにそうだ。しっかり下準備をしてこない参加者に対して良くない負の感情が芽生え、答えられない質問をして追い込んでいた。しかも他の参加者も多くいる目の前で。その質問された人のみならず他の参加者たちも、萎縮していたに違いない。
1つ2つ質問して答えられなかったら「しっかり準備しないといいプレゼンはできない」ということを自覚させ、空いた時間に指導してやればいいだけなのに、追い込んで萎縮させてしまった。良くない事だ。
信頼されている人は、人を追い込むようなことはしない。広い視野を持ち、豊かなココロを持っている。

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7 人の出来るできないか、ではなく、したいかしたくないかを大切にしている。

 「出来ることをやりたい」「できないことはやりたくない」というのは保守的な考え方だ。得意分野で自分を生かそうと思えるならどんどんやっていいだろうし、できないことをわかっているなら敢えてそこには近づかない、というのも賢い選択の1つだと思う。

「できないけどやってみたい」「できるけどやりたくない」というココロは他人にはわかりにくい。
「料理系できないけど、お菓子作りはやってみたい」
「全国出場できるほど速いが、もう走りたくない」
と言われたら、あなたならどう思うだろうか。

○○やってみたい、という前向きな姿勢にはできるだけ応援しようと思うが、「できるのにやりたくない」という場合、なかなか素直に「そうか」と受け入れられないこともあるだろう。「え?どうしてやりたくないの?」と聞けるなら聞いて、本人のココロを理解するのも良し、なにも言わずに「そうか、わかった」と受け入れるのも良し。最終的に本人の「したいかしたくないか」を大切にできれば、その人のココロを尊重することになる。お互いの本当のココロがわかれば信頼し合うことができるだろう。

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8 評価されにくい裏方を評価する。

 団体競技のスポーツにおいて、シュートをバンバン決めるようなエースは誰が見ても格好いいと評価される。
その中でもバスケットボールはスピード感があって展開が早く、シュートを決める瞬間もダイナミックだ。誰もがシュートの瞬間を待ち望んでいるから、それを華麗に決めてくる人はやはり目立つし格好いい。

「うちの子全然活躍してません」と言う保護者もいるが、決してそんな事はない。団体競技は団体でやっているのだから必ず与えられた役割がある。コート全体を掌握してメンバーを動かす司令塔がいればゴール下でリバウンドを任される選手もいる。ディフェンス力が強ければ、相手の攻撃を止めることができる。しかし、華麗にシュートを決める姿が目立ち過ぎて、ほかの選手の活躍が目に入らないということが度々起きてしまう。華麗にシュートを決められるのは、そこまで粘り強くボールをキープする選手がいたからだし、正確なパスを回す選手がいたからなのに。
さらに言うと、ベンチで応援している選手、マネージャーとしてチームを支える人たちにも役割がある。選手を盛りたてる応援もそうだし、マネージャーがいないことなど考えれられない。大量の裏方業を担っている彼らこそ、評価に値する人たちだ。

自分が裏方だと自覚している人を評価しないと、その人はどんどん卑屈になっていく。「評価されるためにやっているのか」などと問うのは、評価する立場にある人の怠慢である。評価されにくい裏方を評価できる人は視野が広く、ココロ豊かだ。
平等かつ正当に人を評価できる人は、間違いなく信頼されている。


あと2つ、「信頼されている人」について考えます。
豊かなココロで



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