《世の中自分と価値観の合わない人の方が多いから、その人たちを気にして病んだりストレスを感じる必要はない。それよりも、数少ない価値観の合う友人を大切にした方がいい。》

価値観が合う合わないという表現は、
言葉で表すことのできない感覚的なものの1つだ。
他人だからわからないだろうとか、身内だから理解してくれるだろうという推測で価値観が合う合わないを判断してはいけないし、判断してもらおうと思ってもいけない。
全然悪気なく、つい自分の価値観で思いを伝え、相手を傷つけてしまうこともある。カウンセラーでもない限り、大抵の人は人の話をそのまま全て受けとめることはできない。カウンセラーとして長年従事されている方でさえ、傾聴することの難しさを語る。病んだりストレスを感じている人たちが、ただ自分の話を聞いてほしいと思っているだけなのに、聞き手は何かアドバイスをしなければと勘違いして、わかりきった正論で話し手の話を終わらせてしまうこともある。
もし、カウンセラーがクライアントに、ちょっとした価値観のズレを感じさせた時点で、そこから信頼を得るのは難しくなっていく。
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一般的に、身内だったら、親なら、子ならお互い何でも分かり合えるだろうと思われがちだが、この根拠のない価値観一致はどこからくるのか。同じ環境で生活し、親の教育のもと意志が引き継がれるからなのか、単純に血が繋がってるからなのか。
同じ遺伝子を持っているから生物として性質が似ているし、同じ空間で過ごす時間が長くコミュニケーションを多くとっていれば、考え方や価値観が似ることもあろう。しかし、似ている域を越えない。遺伝子が似ていることと人の価値観に因果関係はない。
だから
「同じ空間で過ごす親子なんだから、言わなくてもわかるだろう」
なんてことはないのだ。
血縁者であるがゆえ、話せない事もある。
子を育てる義務を持つ親の立場だからこそ子に言えないこともあるし、親に保護されている子だからこそ、親に言ってはいけないこともある。
逆に他人だから話せることもある。
何の事情も知らない人が自分の話をどう受け止めてくれるのか、お互いを知らないから、ただ純粋に自分の気持ちを受け止めてくれるのではないか、そんな風に期待しつつ他人だからこそ話せる事だってある。
義務教育中の子に
「出て行け」
「カネも稼いだことないくせに」
という大人、生活力のない子に「出て行け」とは児童虐待、育児放棄はネグレクトである。また、義務教育中の子にカネを稼がせる理由があるのか、労働基準法にのっとって正しく働かせる理由があるのか、子の意志はどうなのか。
こんな事を親から言われたら、ネット業界の商売戦線に詳しいとか、労働法を知り、ある程度経済社会に詳しい子でもない限り、反論できなくなってしまう。
「出て行け」「カネも稼いだことないくせに」という類のこれらのフレーズは、子を黙らせるための大人のマヌケな「天下の宝刀」であり、そんな方法で子を論破し、黙らせることができたと喜んでいるなら、一時の怒りの感情に支配され、それを自分でコントロールできず、稚拙で短絡的な弱いものいじめをしてしまったと恥じてほしい。
こういった状況は、上司と部下、指導者とプレイヤーまたは夫婦関係のような密接にかかわり合う間柄で起こりうる。
全く関わりのない他人の価値観が自分に影響することはない。むしろ密接に関わりあうからこそお互いの存在、価値観が気になるのだ。
人は感情によって行動する。
感情と価値観が一致した時、人が動くエネルギーになる。
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何がきっかけで喜怒哀楽が発生し、何をどう感じ、どのように動き出すかは人それぞれだろう。よく感じてほしい。そこに人の価値観が現れる。
■営業成績を上げれば報酬も増えて嬉しいという社員と、成績優秀に伴って役職をつけられたため、自由に営業できなくなったと嘆く社員もいる。
■負けて悔しいからまた一から練習し直す、と奮起する選手もいれば、もう十分やった。明日は引退を表明する、と決意する選手もいる。
同じ環境、同じチーム内で起きた結果に対し、感じる価値が全く違う。周りの人たちに説得されて、自分が感じる価値観と別の価値観を受け入れることができる人もいるだろうし、自分の価値観を全うする人もいる。自分の価値観とは違うものに無理をして合わせると、それはやがてストレスとなって自分自身を苦しめることになる。
世の中自分と価値の合わない人の方が多いから、その人たちを気にして病んだりストレスを感じる必要はない。それよりも、数少ない価値観の合う友人を大切にした方がいい。
価値観の合わない人はたくさんいる。
つい感情的になって言ってはいけない言葉を吐きたくなることもある。でも、もともと価値観の合わない人に何を言ったってどうにもならないのだから、その人に対して病んだりストレスを感じる必要はない。決して言ってはいけない「天下の宝刀」で論破しようとも思わないでほしい。そんな無駄な労力を使うくらいなら
「なるほど、こういう考え方もあるんだな。」
と、にっこり笑って受け止めたらいい。
当初不本意で受け止めていても、そのうちあなたのココロはどんどん広く、豊かになっていくと思う。
卑屈な気持ちも認めつつ、ココロ広く、ココロ豊かに。