《自分が変われば相手も変わる。心が変われば態度も変わる。態度が変われば行動も変わる。行動が変われば習慣も変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。運命が変われば人生が変わる。》
相手に「もっとこうなってほしい」と思っても、たぶん相手は変わらない。
相手との関係、親密度によって、またはその伝え方にもよるが、「こうなってほしい」と伝えたところで、人はそうそう変わらない。
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まず、相手に「こうなってほしい」と思うのはなぜか。
自分の思い通りに、行動してほしいから?
かゆい所に手が届いてほしいから?
自分の未熟な部分を埋めてほしいから?
そもそも
自分以外の人に、自分の思い通りに変わってくれることを期待するなんて、無茶な話だ。「こうなってほしい」のにならないからといって相手に文句を言うのは、文句を言う方がおかしい。
変わらない相手を必死に変えようとするよりも、自分が変わる方がよっぽど健全だ。自分の考え方や気持ちを変えればいいだけのこと。
相手に期待するのをやめる。
相手が変わったところで劇的に何かが変わるわけでもないんだし。
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相手に「こうなってほしい」というこだわりがどうでもよくなると、自分の無意味で不機嫌な態度も変わってくる。
なかなかそのこだわりを捨てられないのなら、少し距離を置いてみよう。遠ざかって、忘れてみる。
「こうなってほしい」「あーなってほしい」という相手に対する欲を、自分に向けてみるのもいい。
「自分はいったいどうしたいんだろう?」と、自分に問いかけ、答えを出してみる。解決への道は、他人に委ねるのではなく、自分がどうしたいかで考えてみる。
どうしても悩むなら、誰かに相談したらいい。ただし、答えは自分で選ぶこと。
こうやって色々なことを決めていくと、誰かに「こうなってほしい」などと思わなくなる。自分の人生を自分で切り開いていくのだ。
自分の場合、「君のため」と大義名分をうたいつつ、
自分の欲を満たすために人を変えようとしていたことがあった。・・・少し語弊のある表現だが、「君のため」と応援していた「君」が、「俺はそんなこと望んじゃいない」と言って自分の元を去ってしまった。
なんでもできるセンスのある人に、環境や学ぶ場所を与え、生活基盤も整えた。そのセンスを伸ばそうと自分はできる限りの事をしたのだが、当の本人は「そんなこと望んじゃいない」と。
どんなに素晴らしい素質を持っていようと、本人の気持ちが伴わないと素質を伸ばすことはできない。「俺がやりたいんだ」と本人が思わなければ、素晴らしい素質もただの原石で終わる。残念ながらそういうものなのだ。
どうでもいい、とまでは言わないが、人の人生に多くを口出すものではない。相手が十代前半の未成年であっても年配の方であっても、その人自身が決める事、自分の想いで他人は変えられない、そう思うようになってからは、自分以外の人に多くを求めなくなった。「許せない」とか「腹の立つ」こともぐんと減った。
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自分が変われば相手も変わる。
心が変われば態度も変わる。
態度が変われば行動も変わる。
行動が変われば習慣も変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
運命が変われば人生が変わる。
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自分はうまく変化できているだろうか?
運命は変わるのか?人生も?
「変わる」のではなく、「変えていく」というのが正しいのだろう。