《人には忘れるという機能が備わっている。ココロが不快になるようなことは、忘れた方がうまくいく。》

そもそも人は、忘れる生き物である。
今その瞬間に見聞きしたものを30分と経たないうちに、半分以上も忘れてしまう。
古い記憶に新しい記憶が上書きされても忘れてしまうし、嫌だ、面倒だ、と思いながら覚えようとすることも記憶の定着を阻害してしまう。
脳は、積極的に「記憶を失おうとしている」そうだ。それほど重要ではない低レベルな記憶を慢性的に消しており、新しい記憶を留めるスペースを空けていると言う。
物忘れの初期段階における記憶障害は、
「記憶が失われた状態」ではなく「眠っている記憶を引き出せない状態」であることだそう。何かきっかけになるものを見たり聞いたりすると思い出す、という状態だ。
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こういった脳の基本的な機能に逆らって、
人は記憶を定着させようと努力する。記憶を留めるためには
◆マイナス思考で考えない。
◆興味を持つ
◆覚えておきたい対象に意識を向ける
◆感情をともなうこと、感動すること
など、様々な方法が掲げられる。
逆に言うと
◇マイナス思考で考えて
◇興味を持たず
◇覚えておきたくない対象に意識を向けなければ
ココロが不快になるようなことは忘れられる、という事になる。
ただ1つ厄介なのは、「感情をともなう」嫌な記憶。
これが不快な事と連動していると、どうしても忘れられない出来事としてココロに残ってしまう。忘れかけていたのに当時と似た状況に出くわしたり、不快な事と連動した何かを見たり聞いたりすると思い出してしまう。これはもうどうしようもないことだ。
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なかなか忘れられなかった不快な記憶
年間パスポートを購入するほど大好きなテーマパークだったのに、一緒に行っていた人との酷い別れを経験し、それ以降しばらくテーマパークに行けなくなった人がいた。これはこの人にとって楽しい記憶と不快な記憶、様々な感情が入り交じってなかなか忘れられない不快な出来事となっていた。
しばらくして、その人の周囲にいる親しい人たちの支えと時間の経過とともに、その人はもとのとおり元気になったが、その要因の1つに、新しく、楽しい幸せな出来事が、その人の辛い記憶に上書きされていったことが挙げられるだろう。完全に忘れることは出来なくても、時間の経過と新しい記憶の上書きが繰り返されることによって、不快なことを美化する余裕も出てきたように見えた。
人には忘れるという機能が備わっている。ココロが不快になるようなことは、忘れた方がうまくいく。