《「無いもの」に意識を向けていると「有るもの」を失くしてしまう。「正しく」やろうとすると「愉しむ」ことが出来なくなる。「嫌われない」ように生きていると「やりたいこと」がわからなくなる。「先の心配」をしていると「今の幸せ」を無駄にする。「無難」に生きていると自分を生きられなくなる。》
【無いものに意識を向けていると「有るもの」を失くしてしまう。】
いつも親と子2人で暮らしていたが、子の成長に伴って1人が独立した。門出を祝って「いってらっしゃい」と見送ったのに、親は毎日悲しそうな顔をしている。独立した子の写真を見てため息をつき、時おり「淋しい」とつぶやく。独立した子の次の帰省を楽しみにしている。
残ったもう1人の子は思う。
「自分は残って親の元にいるのにな。自分より独立した兄弟の方が大事なんだな。」
と。
親なら、独立して居ない子を憂うより、今目の間にいる子にもっと目を向けてほしい。
「無いもの(子)」に意識を向けていると「有(居)るもの(子)」のココロを失くしてしまう。
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【「正しく」やろうとすると「愉しむ」ことが出来なくなる。】
Ⓐの道 👇
舗装されたアスファルトを道なりに正しく進む。ある程度進むと分岐点が現れるが、そこには正しい方向が示されているから問題ない。どちらか迷っても、足元のいい進みやすい方向を選ぶ。このまま進めば正しい目的地に到着するだろう。
Ⓑの道 👇
アスファルトの脇には草木が生い茂り、遠くには森が続く。なんだかよくわからないけど、ちょっと行ってみようか。沢を渡ったり、岩壁を這ったり、谷に丸太を掛けて渡ることもあった。動物に遭遇したり、転んで怪我をすることもあった。「そんな道のない所行かずにアスファルト進めよ」とバカにする奴等もいたが、自分はこの道を進む。近道だろうが遠回りになろうが、目的地に向かって自分の道を愉しんで進む。
目的地が同じでも違っていても、別にどちらが正解で不正解と言うわけではない。要は進み方の話だ。
【「嫌われない」ように生きていると「やりたいこと」がわからなくなる。】
嫌われないように生きるというのは、「奴隷になる」ことだ。人格もなく、存在を否認されて、誰かの所有物となって使役される「奴隷」。
嫌われないようにただただ従って「やりたこと」がわからなくなるなんて。
ココロまで支配される人生なんて。
まっぴらごめんだ。
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【「先の心配」をしていると「今の幸せ」を無駄にする。】
無駄に心配することの90%は杞憂で終わる。
今日も暑かったと水をガブガブ飲んだ健康体に幸せを感じてほしい。
「無難」に生きていると自分を生きられなくなる。
「ありがとう」という言葉は
「難」が「有」るから「有り難う」と書く。
苦しい事も難しいこともなければ
「難」が「無」いから「無難」となる。