《「友達・友人・親友」は、己が困った時に、何の見返りも求めないで助けてくれる人のこと。遊び、飲み会、楽しい時や調子のいい時だけの友は「ただの知り合い」です。》
何の見返りもなく助けてくれる人なんているのだろうか?
漫画だと「よくやった、褒美をやろう」「めっそうもござません」のやり取り後、きちんと褒美をもらう。
仕事だと「よくやってくれた、今日は奢るぞ」とご馳走してもらえる。
片想いの人を助ける場合、相手が振り向いてくれるかもしれない、という報酬を期待できる。
問題を専門的に解決するなら弁護士がいるし、書類の作成に困れば行政書士がいる。ココロの不調があればカウンセラーがいる。いずれも報酬が発生するものだ。
自分にメリットなく、助けようなんて思うだろうか。
報酬が発生するから問題解決に向けて真剣に取り組むのであって、見返りもなく全身全霊をかけて助けてくれる人なんていない、と自分は思う。
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甲子園で行われる高校野球に感動するのは、報酬が発生しないことも大きな要因と思う。球児達はただ「勝ちたい」という純粋なココロで夢を追いかけているからだ。ドラフト云々も夢の舞台の1つであって、甲子園で活躍する球児達に年俸の査定など関係ない。報酬どころか、活動に必要な相当な費用を、関係者や全く関係ない人たちからの支援によって賄われるという、まさに高校野球は人の夢と善意が集約された「奇跡の事業」であると自分は思う。
上位ランキングにいる賞金女王の1人が、「高校の時、なんでみんなは金にならないスポーツを一生懸命やってるんだろうと不思議だった。」と、バラエティ番組で語っていた。当時は、ほかのスポーツに対する冒涜だ、などと笑えなかったが、今では「どうせやるなら金になることをやる。」というそのストレートな欲望を実行した彼女を素晴らしいと思う。賞金女王まで上り詰めたそのセンスと努力、自信に満ち溢れたその発言と姿はまさに成功者のオーラをまとっていた。
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高校野球や賞金女王をネタにすると、「友達・友人・親友」の善意さえ、報酬の対象と見てしまいそうになるが、決してそんなことはない。また、大きな困り事を「友達・友人・親友」に助けてもらおうと依存しているわけでもない。さらに、それに対して大きな見返りを求めているわけでもない。
直接相対することなく様々な人とコミュニケーションを図れる今、自分の気持ちを全て1人の相手に受け止めてもらおうと思わなくていい。そもそも、親しいからといって、その人となんでもかんでも自分の考えと同じで、理解しあえるなんてことはあり得ない。
「友達・友人・親友」は、己が困った時に、何の見返りも求めないで助けてくれる人のこと。遊び、飲み会、楽しい時や調子のいい時だけの友は「ただの知り合い」です。
困った時、友人が助けてくれないからと言って「ただの知り合い」と切り捨てるのは、少々ココロの小さい人の考えではないだろうか。そんな困った話を聞いてくれる友人に「聞いてくれてありがとう」と言える豊かなココロを持っていたい。
そして、遊び、飲み会、楽しい時や調子のいい時に一緒に過ごせる友人がいるならば、それはそれで豊かなことだと思う。