《付き合いが長くなると、それらの人たちの存在を当たり前に感じてしまいがち。でも、あなたのチャレンジや成功は、それを生かす場所や機会を与えてくれた人、広めたくれた人、それを求めてくれた人たちがいたからこそ。最後の最後までうまくいく人は、それらの人たちに感謝の想いをもっているもの。》
「付き合いが長い」とはどういうことだろうか。
●自分には家族ぐるみで仲良くしていた幼馴染がいる。幼いころは性別の違いも気にせず毎日のように遊んだが、大きくなるにつれて、同じ中学校に通っていたと言われてもピンとこないほど顔を合わせることもなくなった。そのうちお互い社会人になり、幼馴染が営業、自分が客という形で再会し、商品購入には様々な特典を準備してくれた。これ以降、自分の人生の節目にはチョイチョイこの幼馴染に世話になっている。
●また、人生の中で、学生から「社会人になること」というのは「収入を得て自立していくこと」、自分自身も周りからの評価も劇的に変わる、大きな節目の時期である。
「入社同期」の付き合いは、幼馴染の付き合いの期間を基準とすると、マイナス20年ほどになるが、自分と同じ時期に社会人としての洗礼を浴び、入社時期の苦難を共に乗り越えた大切な戦友と言える。
●そして、現在の自分の職場は異動が多いため、数年もすると事務所の顔ぶれが全て変わってしまう。職場での「付き合い」というと、前述した「入社同期」の期間よりさらに短くなる。
とはいえ、働く人が変わっても役職はそのまま引き継がれるわけだから、自分が何かチャレンジしようとすると、周りはそれを生かす機会を与えてくれたり、広報活動してくれたり、求める人たちのために協力して成功を追うことになる。到底1人ではかなわない。
前述した3つの「付き合いの長さ」は長短様々。
付き合いが長かろうが短かろうが、自分に協力してくれる人たちの大きな存在、有難さは、全て同じように計れない。
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「愚痴でも聞いてもらいたい」と憤怒した時、何年も会っていない幼馴染といつでも連絡をとれること。
大きなプロジェクトが終わった時に「一杯やろうか」といつでも相手してくれる同期がいること。
「何かチャレンジしよう」と思ったら、立案から成功まで協力してくれる仲間がいること。
よく考えてみると「それらの人たちの存在を当たり前に感じて」実際付き合いもある自分は、幸せ者である。
「最後の最後までうまくいく人」になるために「感謝の想いを持つ」だけでなく、
ただ純粋に、「いつもありがとう」と感謝を伝えられることが、何より大切だと思う。