《相談できる人、泣き言を聞いてくれる人、時々誘ってくれる人、一緒に笑ってくれる人、もしもの時に駆けつけてくれる人、叱ってくれる人、損得なく付き合ってくれる人、笑顔を返してくれる人、「またね」と言ってくれる人、そういう人が1人いるなら幸せです。》
◼️時々誘ってくれる人
時々の頻度は3~4ヶ月に1回程度だし、お相手はいつも同じ人でもないが、食事や飲みに誘ってくれる人はいる。
◼️一緒に笑ってくれる人、笑顔を返してくれる人
「今日は誰とも会わずに1人で過ごそう」と引きこもり宣言する休日を除けば、1日人と会わないことはない。カフェのレジで笑顔をもらえば笑顔を返すし、営業でだって笑顔を振りまく。ただ単に一緒に笑ってくれる人がいるかと問われれば、全然いる。
◼️叱ってくれる人
年齢を重ねるごとに減った。自分の親でさえ自分のことは叱らなくなった。強いて言うなら叱るというより、人生の先輩としてアドバイスをくれるというところか。仕事で言うと、上司の指示は受けるが業績目標と目的がしっかりしていれば、やり方が多少おかしくなっても叱られるということはない。喜ばしい事でもないような気もするが、叱ってくれる人が誰かと聞かれると、いないような気もする。
この3点を列挙してみると、
自分はなんだか物悲しい人付き合いしかしていない気がする。「そういう人が1人いるなら幸せ」とうたっているが、「笑い合う人だって誘ってくれる人だって人付き合い関係なくいますけど。」と、こんな感じの事を言っているのではなくもっとこう、ココロが通じ合っていたり、その人にとって大切な人だったり、いつも傍にいて自分を理解してくれる優しい人、みたいな存在がいれば「幸せなんですよ」と深い事を語りかけてるのだろうと思う。
その人にとって気の合うパートナーがいたり、助け合える家族がいたり、尊敬する恩師がいたり、慕ってくれる後輩たちがいたり。こういう人が自分に1人でもいたら幸せということなのだろう。ココロ豊かに過ごせるのだと思う。
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自分にとって知り合いはそれなりにいると思うが、損得なく付き合うような友人はいない。そもそも、自分だけいい思いをしようという下ゴコロ丸見えの「損得勘定なし」という表現は嫌いだ。
そしてもっと嫌なのは「○○してくれる人」という表現。
「してくれてありがとう」と助けてくれたことに感謝の気持ちを伝えるのは絶対必要だが、人はみな平等であって、「してやった」「してくれた」という上下関係を特定の相手と形成されるような言い回し、自分は最も嫌いである(`Δ´)
と、こんな強気な発言をしておきながら、自分にとって「もしもの時に駆けつけてくれる人」は誰なんだと考えてみると。
なんかビミョーだな…
弁護士とか、公的機関の救急と消防以外にはっきりした答えが見つからず、内心焦っている。カネで解決しようと思っているわけではありません。弁護士さんを雇うほど自分に余裕はありませんし…
だから、
「もしもの時に駆けつけてくれる人は誰ですか?」と聞かれてすぐに答えられる人は、相当幸せな人だと思う。
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自分にとって「もしもの時に駆けつけてくれる人」が誰だか答えられずビミョーな感じで終わりそうなところ、自分の人付き合いがどんなものか少し考えてみた。
自分は、
1人の人に多くを求めない。
例えば
●会社勤めしている友人には仕事の愚痴を。
●男女力の高い友人には恋愛の相談を。
●旅好きには旅行のアドバイスを。
●スポーツ仲間には体メンテナンスのご教授を。
●子育てプロの専業主婦には子育ての相談をするだろう。
だからと言って、
きっちり縦割りで区切って友人たちと会っている訳ではない。「ちょっと聞いてくれ」と仕事の愚痴をこぼしながら旅行の話もするし、スポーツ仲間から子育ての愚痴を聞くことだってある。ただ、自分以外が自分と同じ考えを持っているなんてことはあり得ないから、仕事の愚痴をこぼし、相手が自分と同じような感覚で「それは君の言う通りだ」と同意するとは限らない。自分の愚痴や悩み全てを自分の信頼する1人に理解してもらおうとその人に依存しすぎてしまうと、その人との関係はあっという間に崩れてしまう。
依存されたい人と依存する人とのコンビがちょうどいい具合なら何も問題ない。その割合30%と70%、95%と5%など、お互い足して100%近くなる相手を見つけられたら、それはそれで幸せな人生を送れると思う。高齢のご夫婦が、スーパーで寄り添いながら買い物をしている姿なんかを見ると、昔見た食器用洗剤のほのぼのしたCMを思い出す。
👇 ココロ豊かになりませんか?
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3組に1組が離婚する時代、色々な問題を乗り越えながらそのご年齢までお互い支えあってこられたなんて奇跡です、尊敬します。と声をかけたいくらいだ。
私たちの中には、自分と身近な人を一体化し「身近な人は、自分の思い通りに動いてくれる」と錯覚している人がいる。その相手が思い通りに動かなければカンシャクを起こして不機嫌になる。しかし、人がいつも自分の意のままに動いてくれると思い込んでいると、人との境界線を侵害する。そして、侵害したまま人に依存しながら生きることになる。
だから、人をそのまま、ありのまま受け入れることを意識しよう。自分のココロも相手のココロも豊かにすることができる。
これもまた母の言葉。視野が狭いと自分を追い詰めてしまう。
卑屈な自分も認めてココロ広く、ココロ豊かに。
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「ジュエリーローラ」
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