《よい道具を手にしたからといって必ずしも良い仕事ができるとは限りません。手にした道具にどれだけ愛を込めて使っているか、そのココロがけが大切です。》
亡き母は和洋裁の仕事をしていた。
外で勤めていたこともあったが、たいてい自宅の一室を洋裁室として利用し、昭和レトロな足踏み式電動ミシンも当時はフル稼働させていた。
針刺しを左手に巻き、まち針を口にくわえながら客の寸法を測り、決めた長さで生地を折り返して針で止める。メジャーを引っ張る音と巻き戻る音。母のその一連の作業があまりに軽快だったので、勢い余って口にくわえたまち針を飲み込んだらどうしようと子どもながらに心配していた。
母の洋裁室には多くの道具が置かれていた。
メインの生地になるものは、受注してから調達するので端切れになるものしかなかったが、糸やボタンは多種多様。ミシン糸の色に関しては、白から灰色、黒に至るまで何種類もの段階があり、左から右へ移り変わる色のグラデーションのように並べられていた。それはモノトーン色に留まらず、淡い黄色から山吹、オレンジ色に至るまで、ほとんど白に近いような水色から青紺に至るまで、淡い桃色から赤、緑色もすべて、それぞれその色のカテゴリごとに埃がかからないよう大切に陳列され、ところどころ絹糸が反射して光る様子はとても美しかった。
母が大事にしていた昭和レトロな足踏み式電動ミシンも
いつもきれいに手入れされており、糸を通す部分を開けて覗いてみると、オイルの独特なにおいがする。その機械の可動部分はオイルが染み込んでツルツルしていた。
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母は、物を大切にする人だった。和洋裁の道具に関しては特に。
型紙は大きなチラシや何かの包装紙の裏側を使っていたし、生地の端切れも捨てずにパッチワークなどに使用していた。
ある冬の寒い日、
母が神妙な様子で豆腐に針をさしていた事があり、ちょっと驚いて何をしているのか訪ねると「針供養」だと言う。
針供養とは、
折れたり曲がったりして使えなくなった針を供養することである。
これまで硬い生地などを刺してきた針に対し、最後は柔らかいところで休んでほしいという労いの気持ちから、豆腐やこんにゃくなどの柔らかいものに刺して供養するのだという。
また、仕事の相棒として頑張ってくれた針に感謝の気持ちを込めて供養することにより、裁縫の上達を願うという想いもあるそうだ。
今年もすでに12月。
師僧さんも走り回る師走である。
あなたは今年1年振り返って、人や物に対してどのように接してきましたか?感謝のココロ、豊かなココロで接することができましたか?
よい人に巡り会えたからといって必ずしも良い仕事ができるとは限りません。巡り会えた人にどれだけ誠実に接しているか、そのココロがけが大切です。
僕は洋裁など全くできないので、身の回りにそれに関する道具はないけれど、この時期色とりどりのXmasツリーやイルミネーションを見ると、母が大切に扱っていたあの美しいミシン糸と針供養を思い出す。
今日は1日、人を労って感謝するとともに、身の回りの道具にも感謝するココロで過ごしてみてはいかがだろう。
豊かなココロで。
※ 針供養は「事八日(ことようか)」と言って、2月8日または12月8日に行われ、針以外の道具にも感謝をし、片付けや手入れをする日だそうです。
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