豊かなココロと卑屈な気持ち ~麗生🖤leopeolily

「ココロが豊かになる言葉」を解釈してみました。言葉1つ、考え方1つで癒されます。ココロ豊かに過ごしましょう。

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勇気を出して縁を切ろう。感謝を込めて、抱えすぎたものを手放そう。 ~麗生🖤



「言葉1つ」「考え方1つ」でココロ豊かに過ごしましょう。

少し卑屈でごめんなさい_(_^_)_




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《勇気を出して縁を切ることが必要な時がある。今のあなたはたくさんの荷物を持っている状態ではないですか?既にいらなくなったものもあるかもしれない。感謝を込めて手放せたら新しい出合いがあるでしょう。》

勇気を出して縁を切ろう。感謝を込めて、抱えすぎたものを手放そう。~麗生(れお)
感謝をこめて縁を切る。

自分には捨てられないものがたくさんある。

縁を切るとは何と切るのか?
自分には何もないはずなのに、なんで捨てられないものがたくさんあるのだろう?
自分には何もないから、何もないその部分を物で埋めて安心しようとしているのだろうか?

捨てられない物の中に、既にいらなくなったものある。思い出があって捨てられない。今使っていないけど、また使うかもしれないから捨てられない。

あぁ、こういうことだよな、そういうのを「感謝を込めて手放せ」と言っているんだ。

最近自分が物を購入する時に気をつけていることは
「1つ買ったら1つ捨てる」
食品以外、文房具でも靴でも洋服でもそうしている。捨てるのがもったいないと思えば、買取店で引き取ってもらうなどしつつ、転勤や転居の時にどんどん物が減っていくようにしている。


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実家は

5LDK、かなりの年数が経過しているため家のあちこちガタが来ているが、1階部分は車庫、生活の基本が2階のリビングであり、1階と3階部分は倉庫のようになって物が収納されている。リビングには高さ1m程度の棚が2つ、空の状態で放置されている。年に数回実家に顔を出す程度なので気にもしていなかったが、さすがに数年そのまま放置された状態なので目についた。
父に何に使うのか聞くと、趣味で集めている鳥の置物を置くと言う。その木の棚は、扉のふち全体に素材の違う金属がついており、背にあたる内側の部分が鏡になっている。中に鳥の置物をおけば、正面から見てもその鳥の姿を360度見ることができる。
そんな派手な棚にたくさん置物を置いたら、ますます家の中がごちゃごちゃに見えて落ちつかんだろうと思うのだが、集めに集めた鳥の置物たちを置くつもりでその棚を購入したのだとその時に知った。


両親によって集められた鳥は「ふくろう」だ。
「福」を呼ぶ鳥、ふくろう

縁起がいいからと

確か20年ほど前、母が集め始めたもの。どこかのホテルに飾られていた非売品のふくろうを、従業員に頼み込んで譲ってもらったのが発端だ。母が他人に頼み込むほど欲しいものがあったなんて、今でも想像がつかない。ふくろうを集め始めた頃、既に自分は家を出ていたので、母がどうやってふくろうを手に入れて増やしていったのかは知らない。通信機器を使いこなすような人ではないので、ネットで購入するなどではなく、どこかへ出掛けたときに見つけては購入していたのだろう。

それらのふくろうは、陶器で作られたもの、木材、布、石や金属で作られたようなものある。ピアノやサイドボードの上、テレビ台の前に陳列され、リビングはまるでふくろうの住みかのようになっている。
ふくろうを集め始めてから何度が大きな地震に見舞われてきたが、落下して壊れたものは1つもなく、全羽無事に残っているらしい。正月は毎回必ず帰省していたにも関わらず「また増えたか」と思う程度で、大して気にしていなかった。


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今年、実家にある荷物、

離れの一角にある部屋の荷物を一気に片付けることになった。断捨離だ。

タンスの衣類、雑貨と雑貨を収納している棚、食器、鍋、調理器具、多くの寝具類、趣味のものなど。それほど広い範囲ではないが、色々な物がきれいに整頓、収納されている所だった。このきれいな状態のまま廃棄処理場へ運んでいたら廃棄物もかさばることなく順調に作業が進んだろうが、何か大切なものが収納されているかもしれないということで、確認しながらごみ袋へ入れ替えていくよう親に頼まれた。
それぞれとても保管状態が良く、捨てるには勿体ないくらいだったが、悩むとまた捨てられないと思い、いくつか使える電化製品を除いてほぼごみ袋へ入れ替えていった。


収納場所を無駄なく活用するために整然と収納されている荷物たちは、物によって季節ごとに分けられていたり、長期保管が可能な食品にはそれぞれ期限ごとに印がつけられ、消費する優先順位が明確になっていた。買い物袋や包装紙のような紙類までアイロンをかけたのかと思うくらいシワも伸ばされ、綺麗に、取り出しやすいように工夫されて収納されている。それをバラバラにし、中身を確認し、廃棄処理場のルールに従ってごみを分別し、軽トラの荷台が一杯になれば廃棄場へ捨てにいく。
それを1日に何度か繰り返したのだが、壊れた電化製品やどこぞの海外の土産物らしきもの、ほこりの被った段ボールなど、本当にいらねーな、という物が詰め込まれた別の倉庫とは明らかに違うその離れの一角は、少し掃除をしたらそのまま生活できるような状態だった。

もし、

自分がこれらの荷物の持ち主について詳しく知っていたら、
この部屋の片付けを引き受けることができただろうか、
思いきって処分できただろうか?


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今回の断捨離、

整頓されたものを確認しながらごみ袋へ入れ替える行為、1日中それを繰り返していると、その持ち主の人となりが見えてくる。清く正しく、慎ましい生活をしていた様子が目に浮かび、少々せつない気持ちになってしまう。何も知らずに処分しようとする自分がまるで空き巣か何かのように思えて罪悪感に苛まれてしまった。

この作業を親が自分に頼んできたのは、ただ忙しいとか、腰が痛いとか、そういう単純な理由だけではなかったかもしれない。よく知る人が使っていた物を「捨てる」という行為は、時間や体力が消耗するだけではなく、ココロさえ消耗させられる作業ということに気づいた。

親は、この思い入れのある離れの一角に足を踏み入れ、忘れていた過去を思い出し、二度と触れられないその大切な事柄によってココロが揺さぶられ、傷付き、消耗されることに耐えられなかったのだろう。結局親は、何も知らない自分に作業を依頼し、離れの一角が何もない状態になるまで、そこに顔を出すことは一度もなかった。

実家に大勢並べられたふくろうの置物

親が他界したとき、自分はこれらをどうするのだろう。母が売り物ではないものをホテルの従業員に頼み込んでまで入手したお気に入りのふくろう。そんな母に感化された父もまた、大切にしているふくろう。親が他界したからと言って、それらを自分は処分できるのだろうか?


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自分は自分のものさえ捨てられない人間である。たくさん荷物を持っているという自覚もない。
だから
「自分の大切な人が大切にしていたものを捨てる」
なんて、自分にはできない。
「勇気を出して縁を切る」
なんて行為も絶対にできない。


離れの一角を断捨離しているとき、どんなに綺麗に整頓されていようが、大事そうに保管されていようが、自分から見ると価値のないものであり、いらない物として処分できた。その人にとって大切なものだったとしても、何も知らない自分からすると価値のないものなのだ。
自分がどんなに大切にしていても、自分が他界してしまったら、持ち主のいなくなった物や思考の価値はその時点でなくなってしまう。
いつかなくなる物や思考にこだわりすぎて自分が苦しいのは、それを必死に守ろうとして自分自身を追い詰めているんだな、物や考え方に執着して抱えすぎると疲れてしまう、それらと縁を切ることができたら、ココロが軽く、豊かになれるかもしれない。と初めて思うことができた。

なにか悩みを抱えて抜け出せない時というのは、自分の考え、価値観に縛られて、悩みを消化できないオーバーフローの状態だ。うまく気分転換できず、いつも気持ちがはりつめている。

もし、そんな状態にいることに気づいたら、


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我慢せず、あなたの気持ちを誰かに話してほしい。
話す人かいないなら紙に書いて声に出して読んでみるといい。

そして、自分が抱えすぎているものがなんなのか、見極めてほしい。
もし、抱えすぎたものを捨てたり、縁を切ったりして手放すことが出来るなら、それを先にやってみるといい。

ただし、そんな悩みから抜け出すことだけ考えなくても大丈夫。抜け出したいと執着するほどそれにとらわれてしまうから。
誰かに悩みを打ち明けている時、あなたはその気持ちを聞いてほしいだけなのに、黙って聞いて受け止める人だけではないかもしれない。こんなに真剣に悩みに悩んでいるのに「そんなこと」と言って笑い飛ばす人もいるかもしれない。
一瞬腹が立つかもしれないが、それがきっかけとなって自分のココロに変化が現れ、感化され、ココロが軽くなるきっかけが掴めるかもしれない。

あなたが大切にしているもの、あなたが悩んでいることは

あなたにしかわからないし、あなたの価値観を変える必要もない。ただ、悩みににとらわれ、消化できずに辛いとき、あなたが持っている物の量のバランスが崩れている状態だということに気付いてほしい。それは物理的な物の量だけでなく、思考の量も含む。

そんな時、

●「勇気を出して縁を切ること」
●「既にいらなくなったものはないか」
●「感謝を込めて手放せるものはあるか」

これらについて考えてみたらいいと思う。
そうしたら、感謝を込めて物を手放し、縁を切るという行為にも取り組めるかもしれない。

自分は長生きして、自分のココロを豊かにしてくれた人、物たちに、まずは感謝をしたいと思う。じっくり向き合って、長い時間をかけて感謝することを先に考えよう。
手放す覚悟がないならば、無理して手放さない。自分が満足し、感謝のココロで満たされた時に手放せばいいのだから。

卑屈な自分のココロを豊かにしてくれる人や物たち、ありがとうございます。
実家のふくろうたち、このブログを訪れてくれるみなさまにも「福」を運んで下さい。

あなたのココロも豊かでありますように。



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