《たった一言が大きな勇気や希望を与えてくれることがある。気力を失いかけたココロに火をつけてくれることもある。そして、たった一言によって絶望のふちに立たされることもある。》
人が発する言葉には力があり、大きな意味を持つ。
人を喜ばせたり悲しませたり助けたり傷つけたり勇気を与えたり。想いを伝えたり、感動を与えたり人を幸せにしたり。言葉は人のココロを動かす。冗談でもたった一言で傷つくこともある。
その言葉、音、抑揚はそれを受けとる人のココロに響く。
その影響はすさまじい。
最近よく聞く「毒親」という言葉。
子が嫌と思うことを強いれば、それはすでに「毒親」だという。
負けるながんばれと熱く激励すると毒親。
そんな簡単に諦めるなと叱咤すると毒親。
せめて高校は卒業しろ言えば毒親。
そんな風潮から、子が自分の親をためらいなく「毒親」という。
子が思うようにやりたいことをやらせられない親は毒親なのだと。
親は、物理的、年齢的に、子どもらの人生を最後まで見れるわけではない。そう思う親は、子が自立できるようになるまで一生懸命関わっていく。
そんな親に向かって「毒親」という言葉を発する人たち。
発する側は、どれほど立派な人間なのだろうか。
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「毒親」とは。
子を過保護に管理して支配し、精神的な一体感を求めて過干渉となり、それができなければ抑圧して罪悪感を植え付ける。時には子に嫉妬して傷つけるなど、子にとって悪影響を及ぼす毒になる親のことである。
あくまでも俗的概念であり、学術用語ではないけれど、これほど一般的に「毒親」という言葉が浸透すると、一生懸命子育てをしている親に対して軽々しく発する言葉ではない、と僕は思う。
「毒親」なんて言われて心底傷ついたとしても、
親はぐっと我慢して子のため、家族のために尽くさなければならない、そういうものなんです、親というのは…。
いや、ちょっと待て。
それ我慢大会ですか…?
なんかの修行ですか親なんだから当たり前でしょうって親がキレてはいけないんですか。
世間は少し黙ってくれ。
「毒親」という一言で親を傷つけないでくれ。
子の人権を尊重するために、わざわざ親を否定することはない。具体的な手助けができないのなら、見守るだけで十分なはず。
「毒親」という一言で、親の人格を傷つけないでほしい。
なんでもかんでも「毒親」という言葉でひとくくりにしないでほしい。
たった一言でココロが傷ついてしまうから。
たった一言が大きな勇気や希望を与えてくれることがある。気力を失いかけたココロに火をつけてくれることもあるそして、たった一言によって絶望のふちに立たされることもある。
言葉には人生を変える力がある。
一度発した言葉は取消すことができないのだから、普段からココロのこもった言葉を使おう。
ココロのこもった行動をして、ココロのこもったメールを送ろう。
ココロ豊かに。
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