《すごく楽しい時とか何かに没頭してる時って何時間も経っているのに、1時間くらいにしか感じない時がある。こういう時、その人の体は1時間しか歳をとらない。好きな人と楽しんだり、好きな事をして楽しむことはとても大切》
校舎とイチョウ
通っていた小学校のグラウンドに大きなイチョウの木があった。4階建ての校舎と同じくらいの背丈があり、とても存在感のあるイチョウだった。自分が通っていた時に開校100年を迎えていたので、イチョウもなかなかの樹齢だったと思う。校舎立て替え前の狭いグラウンド内、自分はそのイチョウ正面から離れたフェンスぎりぎりの位置から眺めるのが好きだった。夏は緑、秋は見事なまでの黄色に変化するイチョウ。あの独特な葉の形、踏んだら最後、強烈な匂いを発する銀杏のインパクトは、栗の木、モミジと並ぶ、三大秋の紅葉樹として自分の中で君臨している。
【世界三大紅葉樹】
ニッサボク、ニシキギ(錦木)、スズランノキ(鈴蘭の木)
校舎とイチョウを写生する授業があり、
みんなどの位置から描こうか場所の選定に迷っているところ、自分は迷うことなくいつもイチョウを眺めるフェンスぎりぎりの場所へ向かい、そこに座った。自分は特に絵を描くことが好きだったわけでもないし、学校のイチョウを眺める事は好きでも、それを描こうと思ったことはないが、「校舎とイチョウを描く」という強制的にテーマを決められた授業にしては、校舎とセットで好きなイチョウを描けることになんだかワクワクしていた。
校舎を眺め、画用紙に描く。イチョウを眺め、画用紙に描く。少し違えば消ゴムで消す。何度もその単純な作業が繰り返される。画用紙に目を落とすと太陽の光が反射して眩しい。
まだ場所を決められず、学校とイチョウと自分の視界の間を歩き回る生徒もいる。
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「熱心だね」
という言葉だったかどうか、先生に声をかけられた。顔を上げると生徒たちが立ち上がって何人か校舎に向かっている。2時間ある授業のうちの1時間が終わって、休憩の時間になっていたらしい。あっという間に時間が過ぎていた。手を伸ばせば届きそうな所にいるクラスメイト達と話すこともなく、自分は1時間もくもくと校舎とイチョウを描いていた。
家でも学校でも、落ち着きがない、ちょろちょろしている、そう言われている自分が真面目に授業に取り組んでいる姿を見て、先生はどう思っていたんだろう。学校のものを水浸しにしたり壊したり、喧嘩して脳震盪を起こして親が呼ばれたり。じっとして取り組まなければならない絵画の授業こそ、何かやらかしそうと思われていたに違いない。
校舎とイチョウを真面目に描く自分自身を意外に思ったが、絵画の授業は毎回楽しかった。日をまたいで数回、2時間ずつある絵画の時間はあっという間に感じるほど、毎回楽しいと思えた。
その後、自分が描いた校舎とイチョウは、
学年内で表彰された。
体感時間が短く感じられるほど楽しいことを真面目に取り組んだものが成果に現れやすい、というのは本当らしい。
5クラスあるうち、どの生徒も似たような色やアングルで描かれた校舎とイチョウ。どうやって評価され、表彰の対象となったのか全くわからなかったが、とても嬉しかった。今思えば、ちょろちょろしていた自分を更生させるための先生の策略だったのかと、卑屈な気持ちも否めない。
ただし、それがきっかけとなって絵を描くことが好きになり、学生時代、どの学年においても美術の成績はよかった。小学校時代の先生の素晴らしい策略…機転により、自分は公共のものを壊さなくなったし、人の話も聞けるようになり、わりと素直な普通の生徒に育っていったと思う。好きな事を褒めてくれたことによって自分の承認欲求が満たされたのだろう。
社会人になったばかりの数年間、
平日週末問わず、絵を描いて過ごすことが多かった。
1人でバイクに乗って遠くまで行き、色々なものをスケッチブックに描いた。出先の風景も描いたが、遠出しておいて自分のバイクを描くこともあった。翌年のカレンダーを自分の絵で作ろうと、数ヵ月かけて12枚を描いた時期もある。1枚描き始めると、完成するまで絵に集中したいので、仕事が終わるとすぐ帰宅、週末は1日中絵の時間に費やした。邦楽洋楽、ジャズやクラシック、大量の音楽CDを持っているのに、立ち上がって入れ替えるのが面倒で、1日中同じCDをかけていることもあった。
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気がつくと「もうこんな時間」「メシ食ってない」など、あっと言う間に時間が経っていた。絵を描くために費やした時間が長いわりに、体感時間はとても短かった。本当に楽しかった。1日24時間のうち12時間絵を描いていたとしても、自分の感覚では3~4時間程度にしか感じていなかったと思う。
すごく楽しい時とか何かに没頭してる時って何時間も経っているのに、1時間くらいにしか感じない時がある。こういう時、その人の体は1時間しか歳をとらない。
ということは当時、自分の体は大して歳をとっていないことになる。翌年のカレンダーを作成したのは5~6年。カレンダー作成以前も出先でちょくちょく描いていた。
自分がカレンダー作成していた時期の体感時間を計算してみると
12か月分 × 5年 = 60枚
1枚12時間かかったのに体感時間が3時間だったとしたら
実際30日=720時間経っているのに、体は1週間と少し=180時間しか年をとっていないことになる。
カレンダーを作成していた時期のみで計算しても実際の経過時間と体感時間はけっこう違う。
好きな事を見つけて没頭すると年をとらないというのは頷ける。好きなことをやってる人はなんだかキラキラしているものだ。
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当時、
絵を描くことにあんなに没頭していたのに、年数が経ち、人付き合いや環境が変わってから、全く描かなくなった。描かなくなってから既に20年以上経つ。転職の際、転職前の会社の方々から頂いた絵の具もたいそう大事に使い、絵の具が乾燥しないように保管していたのだが、さすがに20年も経つとキャップを開けても絵の具が出てこない、固まって使えない状態になっていた。
あの頃は時間を気にすることなく自由に絵を描いていた。きっかけはあの校舎とイチョウだ。まさか絵で表彰されるなんて思わなかった、イチョウ見ると思い出す…。何やっても「時間がない、もったいない」と時間に追われているような今と違って、何時間も好きな絵を描いて過ごしてたなー。フフフ(´- `*)
と、振り返る。
時間を忘れて何かに没頭できるなんて、幸せなことだよな…ε=( ̄。 ̄ )
とも思う。
・・・。
自分、回想にふけってなんだかもの悲しい雰囲気さえ醸し出しているが、考えてみれば今、けっこう楽しんでんじゃないの、というような気もする。
なんだかんだ言ってこのブログ。
令和2年6月20日に「豊かなココロと卑屈な気持ち」を開設し、アクセスしてくれる方数人、収益¥35ーという超ひとりよがりなブログではあるものの、書こうと思ったら時間を忘れて打ち込んでいる。
絵を描いてる当時はCDだったが、今ではスマホから流れる音楽を聞いている。CDを取り換えずしても、勝手にチャート上位の曲を流してくれる。
「熱心だね」
と直接言ってくれる先生はいないが、このブログを訪れてくれる方の形跡が先生の代わりのようだと思っている。ご褒美は3ヶ月を越えたところで広告収入¥35ーといった所だろうか。
ブログも楽しく長く続けられるなら、あっという間に過ぎた体感時間しか年をとらないはず。若さの秘訣と考えて、続けるモチベーションの1つとしよう。
ココロ豊かな生活を送るために。
「豊かなココロと卑屈な気持ち」
みなさまと共有したいです。
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