豊かなココロと卑屈な気持ち ~麗生🖤leopeolily

「ココロが豊かになる言葉」を解釈してみました。言葉1つ、考え方1つで癒されます。ココロ豊かに過ごしましょう。

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「後悔」はやってみてこそ感じる経験の賜物だ。 ~麗生🖤



「言葉1つ」「考え方1つ」でココロ豊かに過ごしましょう。

少し卑屈でごめんなさい_(_^_)_




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「後悔」 = 後で悔いる。

《 年齢を重ねるほどに「やらなかった事」の後悔が増す。それに気づいたのなら、「後で悔いる」ことをしなければいい。》

後悔はやってみてこそ感じる経験の賜物です。~麗生(れお)
後悔

■まずはやってみよう。
■気になるならやってみよう。
■やれば進むかもしれないが、やらなきゃ「ゼロ」だ。


「やってみよう」という事柄の中には、未経験のものもあるだろう。未経験のものをやるのだから、失敗はつきものだ。やらないで後悔するくらいなら失敗など恐れずやろう、という話。


色々な資格を持っている知り合いがいる。
その動機が少し面白い。

●料理上手になりたいから → 調理師
●プレイしてる選手を間近で見たいから → スポーツの審判員
●力仕事が嫌だから → クレーン操縦士
●子供を育ててないのに立派に他人の子をお世話できる先生に感動して → 保育士

など。


この資格を全て生かせる職についているわけではないが、興味が湧いてやってみたくなり、勉強して資格をとったと言う。資格取得するまで、それなりに時間を割いて努力しているにも関わらず、自分の中である程度役割を果たしたと思える資格については、更新していない様子。

この方の「やってみる」動機が「え?そんな理由?」と思わされる所が面白い。資格を手放すタイミングも潔く、清々しい。


ダメだったら諦めるし、向いてなければやめればいい。
でもやってみたいんだよね、


とその方は笑う。


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クライミングの体験施設を訪れたことがある。

付き添いの自分に「やってみませんか?」と声をかけてきた係員がいた。せっかくなのでやってみることにした。たった1本の安全綱をつけて15mの壁を登る。人が恐怖を感じる高さが11m、ビルの3~4階にあたる。そこから落下すると確実に重傷以上負うことを本能的に感じる恐怖のボーダーラインが11mだそうだ。

次に手をかける場所を探しながら登っていくので、それほど下を気にする余裕はないが、登るほど壁が反り返っていくのを感じ、疲れと恐怖で初回は8m辺りで断念した。

2回目は指導を頂き、汗だくになりながら目標地点まで登ることができたのだが、このたった1.5回の経験で、腰回りが一時的に?引き締まった。翌日、翌々日は全身筋肉痛になってしまったが、何年かぶりに運動で体を鍛えようかと真剣に考えるきっかけとなった。


現在、鍛えに鍛えまくってバキバキの身体になってるわけではないし、クライミングをやったから、やらなかったからといって直接今の生活に影響しているわけではないが、なにかやろうかどうか悩むとき、このクライミングのことを思い出す。
とりあえず「やってみるかな」のきっかけになってるのは確かだ。


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人が死ぬ時に後悔する事柄の中には


①仕事しすぎなければよかった
②言いたいこと言えばよかった
③友達と連絡とればよかった
④幸せを追求すればよかった
⑤自分らしく生きればよかった


というのがあるそうだ。


①は仕事を一生懸命やってきた人だけが言える特権で、片手間にやってきた人には感じることができない。


②は相手や大勢を気遣ってよく考えて発言してきた人だけが言える特権で、忍耐のない人には思いもよらない言葉だろう。


の言う友達とは昔ながらの友達か?もし、あなたが仕事人間だったなら、その関わる人たちの中に友達や戦友と言える人がいるのではないか??大丈夫、あなたが気づいてないだけで、それらの人たちと有意義な長い時間を過ごしてきたはず。


自分の幸せより、家族や恋人、近しい人たちの幸せを1番に考えていたのでは?見ず知らずの他人を優先したことさえあるのではないだろうか。自分のことしか考えない身勝手な人より、ずっとあなたは素晴らしい。


⑤死ぬときにようやく自分らしさを追求するとは、人生を自分以外の誰かに何かのために捧げてきた尊い人なのだと思う。

「後悔」は決して残念なことではない。
「後悔」はやってみてこそ感じる経験の賜物だ。

どうか「後悔」に苛まれないでほしい。
年齢を重ねるごとに「やらなかった事」に対する後悔に気づくのは、それ相応の経験を積んで、知見が増えたからこそ。

行動することの他に、考え方やココロの豊かさもあなたの人生に深みを与えてきた。

だから「やらなかった事」だけにとらわれないでほしい。

自信を持って。

「後悔」は決して悪いことでも残念なことでもない。次に進むためのステップと考えればいい。
「後悔」したことのない人がいるなら、なんと味気ない人生なのかと憐れに思う。

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