《感情を溜め込むことがある。溜め込んだ感情は決して解消されない。閉じ込められたまま抱え込んでしまう。そうやって感情を溜め込む癖がつくと、自分の感情がわからなくなる。溜め込んでいる感情を吐き出そう。話すことでその感情を手放すことができる。》
母が亡くなってもうすぐ1年。
振り返ってみても、自分は母親とそれほど接点がなかったというかなんというか。
「母親なんだから」
「親子なんだから」
「あなたを産んでくれた母親なんだから」
「母親を泣かせちゃダメよ」
「お母さんを大切にね」
などと言われてもいまいちピンとこない自分。
親子でも全て分かり合うなんて不可能だし、考え方を理解できても納得できないことがある。それぞれの立場でそれぞれの考え方があるのだから、それを肯定して応援することはあっても否定する必要はない。親子でもそんな権利はない。
「遠くの親類より近くの他人」とは、物理的な距離を示唆したものらしいが、よく言ったものだな、と思う。生きる環境や社会にはそれぞれルールがある。血縁関係なく同じルールの中で協力し合える仲間を大切にするのは当然の事だろう。
僕には見た目も良く頭の良い兄弟がいる。
そのうちの1人は、幼少の頃ぜんそくを患っていたから、体が弱く、病院通いが頻繁だった。夜中に咳き込むこともあったから、両親が救急病院へ連れて行ったり、病院へ行けない時は自宅で吸入器を使って、喘息がおさまる朝まで寝ずに付き添ったりしていた。食が細いからと言って歯の矯正もしていたし、その兄弟のことは本当に大切に扱っていたと思う。比較的健康だった自分がちょっと熱を出したくらいで母は動じない。僕は母のそんな様子を見て、する必要のない歯の矯正に高い金を払うなら、こっちの病院代や欲しいものに使ってくれよ、と常々思っていた。
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大人になって自分で生活するようになると、
ほとんど家に寄り付かず、両親と顔を合わせることもなくなった。会社の仲間や恋人との関わりが強くなって、母親の存在などココロの片隅にもなくなっていった。結婚したとき、子どもを授かったとき、生まれたときでさえ母を頼ることはなかった。
連絡しないことを両親から指摘され、「何かあったら連絡しなさい」と言われたこともあるが、とくに困ったこともないし、あっても自分で解決してきたし、自分以外の兄弟たちがいるのだから両親のことも大丈夫だろうと、自分は自分の生活を大切にしていた。
自分の卑屈さは、幼少の頃に親から受けた兄弟格差から生まれたものと思っている。
両親にそんなつもりはないとしても、僕が自分でそう感じているのだから仕方がない。
ただ、僕は決して母の存在を軽視してきた訳ではない。
この世は、生を産み出す母の存在があって成立するのだから、その存在はとても尊い。妊娠中に胎児を守る羊水が海水と同じ成分なんて聞くと、神秘的とさえ思う。しかし、これらは世間一般が母親を称賛する言葉であって、自分と自分の母との間にある特別な何かと言われるとそういうものではない。そういう限定した何かがあるかと問われると、思いつかない。
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母親が亡くなったとき、
母との関係が稀薄だったからそんなに悲しむことはないだろうと思っていたのだが、全然そんなことはなく、悲しみに暮れた。何かしていないとダメになりそうで、母が亡くなったことをすぐ会社に言えず、数日がっちり仕事をした。神経が研ぎ澄まされてじっとしてられない感覚がしばらく続いたあと、一気に喪失感に襲われた。
母が生きていたとしても、とくに連絡を取り合うことも顔を合わせることもなかったのに。
いい年頃の中年が、「もっと母さんに甘えたかった」と泣いて、兄弟たちを困らせたのをはっきり覚えている。自分は母に甘えたかったんだな、と自覚した記憶もある。
母の遺品から、「心が豊かになる言葉集」という何冊ものノートが出てきた。
大学ノートに包装紙が貼られ、ページをめくると母の言葉が書かれている。母らしい美しい筆跡で、ノートの端から端までびっしりと余白を無駄にすることなく書き留められている。ほぼ毎日「ココロが豊かになる言葉」が記されているのだ。
僕がこれらのノートを引き取りたいと言った時、ほかの兄弟たちは快諾してくれた。母の気持ちのこもったこれらのノートを保管するのは、生前母を大切にしてこなかった自分の役目かもしれない、という気持ちになったのだ。
結局自分は、ほかの兄弟たちと同じように母に甘え、「母に大切にされていた」と感じたかったのだと思う。
それを感じることができないから大丈夫なフリをして母を避け、強がって何でもないように振る舞っていたのだろう。大人になればなるほど自立し、生活力も上がって自分の環境が確立され、ますます甘えられなくなってしまう。母の優しさを感じられない悲しさから逃れるために、自分から母親を遠ざけていたのかもしれない。
「甘えたい」という感情を吐き出せばよかった。幼少から大人ぶって平気なフリをせず、「甘えたい」感情を溜め込まなければよかった。溜め込む癖がついたから、自分の感情がよくわからなくなり、卑屈になって、ココロが歪んでしまったのだ。
大切なものは失くしてから気づくというけれど、本当にそのとおりと思う。
母を亡くしたあとに「もっと甘えたかった」なんて、本当に愚かなつぶやきだと思う。
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母の日、カーネーションと白いカスミソウの大きな花束を渡したことがある。
花がつぶれないようにバイクのシートに緩く固定した。緩く固定したので、走行中に花の部分を覆っていた紙が飛んでしまい、真っ赤なカーネーションと大量のカスミソウがシート一杯に広がり、信号待ちの車や道行く人の注目を浴びた。
バイクの後ろにカーネーションを一杯に積んで帰宅したものだから、母は「わぁ、派手な登場だ」と、笑いながらその大きな花束を受け取ってくれたことを思い出す。
もうすぐ母の日。
あなたの母親がこの世にいるなら、会いに行ってみてほしい。直接会えないのなら、別の方法で。
特に会えない、会いたくない理由がない限り、母の日くらい顔を見せてもいいんじゃないかと思う。
あなたのココロが豊かになるか、母親のココロが豊かになるか、両方のココロが豊かになるか、はたまたそうではなくなるか、それは会ってみないとわからないけれど、会える環境にあるなら、そうしてほしいと思う。僕は母に二度と会えないから、羨ましいな、と思う気持ちも込めて。
母の日に、全ての人のココロが豊かになりますように。
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