豊かなココロと卑屈な気持ち ~麗生🖤leopeolily

「ココロが豊かになる言葉」を解釈してみました。言葉1つ、考え方1つで癒されます。ココロ豊かに過ごしましょう。

スポンサーリンク

「喜びと幸せの連鎖」はどんな人同士でも繋ぐことが出来る。 ~麗生🖤



「言葉1つ」「考え方1つ」でココロ豊かに過ごしましょう。

少し卑屈でごめんなさい_(_^_)_




スポンサーリンク

《喜ばせてくれる幸せよりも、喜ばせたい人がいる幸せ。》

喜びと幸せの連鎖はどんな人同士でも繋ぐことができます。~麗生(れお)
喜びと幸せの連鎖


🔲プレゼントを選びながら、喜んで受け取ってくれる姿を想像する幸せ。

🔲冗談を言って、クールな彼女が「楽しい」と笑う姿を見る幸せ。

🔲食事の支度をしながら、「おいしい」ともくもく食べる姿を想像する幸せ。

喜ばせたい人がいることは幸せだと思う。

人が喜んでいるのを見ると、こちらも嬉しくなる。
少し気恥ずかしい気持ちになったり、もらい泣きしたり、ココロがほんわかしたり。
胸元、若しくは胃の上部辺りに血液が集結するような、とにかくココロがほんわかするような気持ちになる。


交遊関係がそれほど広くない卑屈な私は、
「喜ばせたい人がいる幸せ」
という文言に、交友関係の狭さを指摘された気になる。

「喜ばせたい人」

というと、その人が自分にとって「特別な人」「大切な人」「親兄弟」「配偶者」「友人」と思いがちだが、喜ばせたい対象は誰であろうと関係ないと思う。


🔲公共交通機関に乗車中、荷物をたくさん持っているご婦人に席を譲った。ご婦人はとても喜んでいた。

🔲前を歩く人が落とした携帯を拾い、追いかけて声をかけた。振り返って携帯を手渡されたときの落とし主の喜ぶ姿。

🔲故障したエアコンを修理してくれた出張業者に、帰り際、缶コーヒーを渡した。お互い遠慮がちにお礼を言い合う様子。


初対面で、おそらく今後二度と会わないと思われるお相手にも、自分の行動により喜んでくれる機会はたくさんある。人は、人と関わることによって、無意識にココロの交流をしているのだろう。

スポンサーリンク


小学生の冬の日

当時住んでいた地域では珍しく、雪の降る日があった。下校する時間には雲が切れ、太陽の光が差し込む程度に回復していたのだが、ぽたぽたと形のある雨雪が降り続いていたので、車道にはシャーベット状になった雪がうっすら残っていた。車道側の歩道を歩いていると、行き交う車から水しぶきがかかるほど。

そんな道路状況の中、郵便物を配達するカブがハンドルをとられて転倒した。荷台に乗せられた郵便物が濡れた車道に放り出され、アスファルトの上を滑るカブの大きな音が派手な転倒を物語っていた。

後ろから追突されることもなく二次災害にはならなかったものの、他の車の運転手や道行く人たちの注目を集め、転倒したカブを先頭に車の行列ができ始めた。配達員はすぐに起き上がり、散らばった郵便物をかき集めていた。

自分1人で下校中の真横で起きたので、カブのアクセルが吹かされた大きな音、転倒した時の大きな音に驚いたが、大量に散らばった郵便物の量にも驚いた。
夢中で郵便物を集めている配達員を見て、手伝おうかとても悩んだ。

手伝うということは。

歩行者が車道に出てはいけないという交通ルールを破ることになる。誰かが見ていて先生に言いつけられたらどうしよう。今、付近の注目を集めている張本人に近寄り、自分から注目の的になるということ。

…こ…これは恥ずかしい…。


でも、手伝わないと…

かなり離れたところまで飛んだ郵便物を拾い忘れる可能性がある。かき集めている配達員がその1つに気づいていないから、放っておくと大変なことになる。

「車道に出て一緒に拾おうか、あの遠くの郵便物を拾うためなら怒られないかもしれない。ちょっと手伝うくらいなら、そんなに注目されないはず」

そんな気持ちでドキドキしながら手伝うか手伝わないか立ちすくんでいると、その配達員と目が合った。


「何見てんだよ」


配達員はそんなこと言っちゃいないが、言われてるように感じた。自分が逆ならそう思っただろうし。

配達員が顔を上げたその時、離れたところに散らばった残りの郵便物に気がついた。配達員はそれに駆け寄って拾うと、少し慌てたようにしてカブにまたがり、エンジンをかけてその場を去っていった。


スポンサーリンク



大人になった今、


目の前で「明らかに困っている人」を助けようか迷ったとき、この時のことを思い出す。

いまでは「歩行者は車道に出てはいけない」ルールを柔軟に解釈できるし、「みんなに注目されてしまう恥ずかしさ」もない。今、あの時と同じ状況に遭遇したら、迷わず一緒に郵便物を拾うし、「ケガはないですか」の一言くらいは必ず言うだろう。

優しさは人を喜ばせることが多い。

お節介と紙一重な部分もあろうが、無関心よりずっといい。
人が喜ぶ姿を見ると、自分のココロも豊かになる。


そして


自分にとって喜ばせる人とは、
限定された身近な人だけではない。

見ず知らずの郵便配達員と1人の小学生の間でも起こりうる。あの時、郵便物を拾うのを手伝っていれば、の話だが。喜ばそうと思わなくても、自分の行動が相手にとって喜ばしいことになりうるのだ。


意識しても無意識でも、これらの喜びは自分のココロも豊かにする。

自分のココロが豊かになれば、人を喜ばせたい気持ちに広がりが出る。
人を喜ばせることに幸せを感じるなら、その喜びは自分自身にも返ってくる。


巡り巡って結局自分も幸せになるのだ。


お節介と言われて嫌ならやめればいい。人を喜ばせたいと思うなら、そうしたらいい。

幸せの連鎖に遠慮する必要はない。

こんな幸せの連鎖がずっと続けば、自分のココロも相手のココロも世の中も。もっともっと暖かく、豊かになると思う。


スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク