《日本では「どん底に落ちたあとは這い上がるだけ」と言うが、イタリアでは「どん底なら穴を掘れ」と言う。》
落とし穴に落ちると、落ちる前にいた場所に戻りたいと思う。自分が日本人だからか、それは普通の感覚だと思う。
そこに「どん底なら穴を掘れ」というイタリア人の斬新な発想を聞いたときは「え?穴?」と驚いたものだが、同時にココロが軽くなった。どん底の悲壮感漂うどんよりした自分の感覚と違い、ユーモアたっぷり、おしゃれでセンスのいいイタリア人は「さらに掘ってみりゃいいんじゃないの?笑笑笑」と面白いことを言うのだ。こんな風にどん底を楽しめたら、落ちたことを「落ちた」と残念に思わず、それも人生の経験だと笑いながら、ココロ豊かに過ごせるに違いない。
もし実際、
人生の落とし穴に落ちてしまったら「どん底なら穴を掘れ」を覚えていたとしても、ココロに余裕無く、穴を掘る気力さえ残っておらず、つらさ、苦しさに支配されて身動きがとれなくなってしまうだろう。浅い落とし穴なら「イテテ」と言いながら這い上がれるかもしれないが、簡単に這い上がれない深い深い落とし穴だったとしたら?
・・・すぐに気持ちを切り替えることができるだろうか?・・・もし、切り替えられなかったらどうしよう??・・・出た。
せっかくイタリア人が「さらに掘ってみりゃいいんじゃないの?笑笑笑」と面白いことを言ってくれてるのに、卑屈で陰気な自分が出た。「切り替えられなかったらどうしよう」じゃなくて「考え方を変えてみなよ」と頭の固い自分に発想の転換を示唆してくれているのに、いつものようにビビってる。スポンサーリンク
そこまでビビるなら、とりあえず休んでみる?どん底で。
そこまで落ちたならそれ以上落ちる所ないでしょう、どん底なんだから。笑。で、ケガしたの?頭打ったの?あ、そう、ちょっと寝たら?あんなところから落ちて生きてるんだから運が強いのねぇ。ま、そんな強運ならこの先もなんとかなりますよ。
と、現状の悲惨さを第三者的な目線で受け入れてみるのもアリかもしれない。穴を掘る気力も這い上がる気力もない時、一時そこにとどまるという選択。落ちたことを受け入れる時間。やっぱり落ちたなら落ちた理由があるわけで、「さらに掘ってみりゃいいんじゃないの?笑笑笑」と、笑い飛ばすセンスと余裕がない自分には、一度受け止めたり反省する時間が必要なのだと思う。
ただし、「あまり長く悩まないこと」
これだけは心得たい。どん底に落ちたことをいつまでも悔やんで悩んでいたら、不器用な自分はドツボにはまってしまうから。
「どん底なら穴を掘れ」イタリア人の陽気さと発想の転換、柔軟性とユーモアを見習いたい。イタリア人の方々、ココロ豊かに過ごすためのヒント、素敵な言葉をありがとうございます。