《人のココロを動かすのは人の気くばり》
人は「情」で動くが「理」では動かないという。
「情」とは、他人を思いやり、感じて動くココロのはたらきのことである。
部下は上司を選べない。
と言う。上司にあたる人がご栄転、左遷やらで我々の職場に配属されて上司となる。会社が考えて人事異動をしているのだから、物理的に上司を選べないと言えばそうなのだろう。
そうは言っても、僕的部下目線から言うと、しっかり上司を選んで仕事をしている。言い換えれば、その上司ごとに対応を変えているということだ。
もちろん仕事なのだから、良い上司だろうが嫌な上司だろうが、仕事を頼まれたら優先的に取りかかるし、「ほう(報告)れん(連絡)そう(相談)」だってしっかりする。チームで動く時は特にそうだ。目標さえしっかりしていれば、目標達成するまで多少要領悪かろうが多少遠回りしようが基本的にはそれに従う。
僕は良い上司に頼まれたら、
プラスアルファな仕事をしようと思っている。例えば「こんなに早くまとめてくれたの?」「ここまで調べてくれたの?」とちょっとした事だけれど、その上司が「助かるよ」と感じるよう事だ。そして渡したプレゼン資料の中で特に注意してほしいことは、口頭でも説明する。また、取引先に送る年賀状のデザインとか、わりと細かいどうでもいいようなことでも上司の意見を聞いたりする。いい上司というのは、部下のためによく時間を使うものだ。
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逆に、嫌な上司には
必要以上の気遣いはしないし、その上司が自分で調べればわかるような情報は提供しない。様々な統計は表計算を使えばすぐに回答が出るのに、その要領を聞かれなければ教えない。上司が熟知していなければならない内容は聞かれるまで答えない。熟知していなければならないことを知らずにいるので教えて差し上げようと思っても、無知を恥じてか、嫌な上司は往々にして「そんなこと知っている」と機嫌が悪くなるものだ。だから、その無知のせいで大勢の前で恥をかいても助けたりはしない。
僕が上司を選んで仕事をしているというのはそういうことだ。僕が会社で培って得た知識、技術、経験や人脈を、そんな簡単に嫌な上司には提供しない。
ただし、良い上司だろうが嫌いな上司だろうが
表面的な接し方はみな同じ。差をつけない。同僚に「え?麗生さん、●▲さんのこと、嫌いだったんですか?」と驚かれるくらい普通に接する。話し方や態度に差をつけずに対応することで、嫌いな相手に「私はあなたが嫌いです」というココロを悟られないようにする。「あなたが嫌いです」と思いながら接していると相手にそれが伝わって、嫌いな相手もあなたの事を嫌いになってしまう。仕事上、同僚間で好き嫌いが相手や周囲にわかってしまうというのはあまり好ましくないことだ。
ここで特に注意したいことは、
自分が間違ったり失敗したとき、良い上司からの指導については素直に受け入れて反省できるのに、嫌いな上司からの指導にはどうしても反骨精神むき出しになってしまうことがある。「あなたのような上司からは言われたくない」と。しかし、自分が間違って失敗したときは、誰に言われるまでもなく反省して次に繋げればいいだけのこと。そこで反骨精神を剥き出したところで自分の成長には繋がらない。
嫌な上司なんてまぁまぁいるのだから、
そんな上司に頭を悩ませるなんて時間も労力も色々もったいない。物理的に上司は選べなくても、ココロの中で選んで対応を変えてやればいいのだ。
昨年あなたは、我慢したりキレたりしながら頑張って来られたのではないですか?
必須の仕事は真面目にする。
それ以外はあなたのココロが選べばいい。
《人のココロを動かすのは人の気くばり》
今年も豊かなココロでやっていきましょう。
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