《天職とは、これをやるために生まれてきたというほど、自分にぴったり合った仕事のことです。》
《ただ漠然と探しているだけでは見つからない。今やるべきことを一生懸命やる。やっているうちに「これだ」と思う天職に出合います。天職は、あなたの中に埋まっているのだから、自分でそれを掘り出してみるのです。怠惰に過ごしていては、発見できるものではありません。あなたが今の仕事に打ち込んでいるうちに、わかるものです。》
自分は何が得意なんだろう?
これぞ天職と思って何かしたことはないけれど、与えられたことはそれなりにしてきたと思う。
営業接客はあまり好きではないし、パソコンも得意ではない。やらされた感覚はあったけれど、人との接し方も学べたし、パソコンも使えるようにはなった。
周囲の人から「器用だ」と言われ、その気になって色々やったけれど、天職と言えるものはなかなか見つからない。
亡き母は、
洋裁学校を卒業し、和洋裁ができたので、縫い物を仕事にしていた。家の中にあるカバー類はほとんど母の手作りだったし、人から洋服の要望があれば採寸、仕立てをし、細かくて丁寧な仕事ぶりに定評があった。僕の中学の制服も母の手作りだったので、成長を見越して大きめの制服を着た新入生が多い中、僕だけは体型に合った、見た目のいい制服を着ていたのを覚えている。
母にとって、縫い物の仕事は天職だったと言える。
人は、色々な経験から自分の得手不得手を模索して、やりたいことも考えながら、天職を見つけていくのだろう。
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僕には、これといって得意なものがない。
これが食べたいとかあれしたいこれしたいもあまりない。得意になるほど何かに打ち込んだこともないような気がする。
何もなさすぎて、大人になった今では、資格をとることに一生懸命になっている。
資格があればそれを生かした仕事に就けるし、資格手当がもらえることもあるから、資格を持っているというのはいいことだ。転職や定年後もきっと役に立つだろう。でももしかすると、定年しても再雇用されて同じ仕事を続けるのかもしれない。「せっかく取得した資格も一生使わないかもなぁ。」なんてことも考える。
「資格より経験が大事だ」という意見には一部同意するけれど、勉強するなら資格を目指した方が本気で取り組めるし、ないよりあった方が断然いい、と僕は思う。
不器用とはいえ、1つのことに長けている人が天職を見つけたら、水を得た魚のように生き生き過ごすことが出来るだろう。
逆に、なんでもできる器用貧乏は、突然新しい環境に置かれても、柔軟に対応して要領よく過ごせそうだ。
天職は見つけても見つけられなくても、今やるべきことを一生懸命やっていれば、いつかそれが天職になるのかもしれないな。
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母の「ココロが豊かになる言葉集」からもう1つ。
↓
《出来ないことは出来ないと言う事も正しいんです。自分の出来ないことを無理にやらない。それが得意な人がやればいいんです。不得意なことをやってうまくいくことはない。だから、自分ができることを考えればいいんです。》
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