《他人の事で悩むのはもうやめよう。どう足掻いたってどう説得したって他人は変わらないのだから。ただ時間がもったいない。》
自分と他人
「あなた変わってるよね」
と言われた方からすると、あなたも充分変わってますよ、と思う。
お互いそう思ってるんだから、相手のために自分を変えようなどと思うわけもない。
違うからこそ惹かれ合うこともあろうが、そこは決して交わることはない。
「変わってる」部分は自分にはないからそう思うだけで、どう捉えようとその人の個性である。正当な道を踏み外していないなら、それぞれの「個性」は尊重したらいい。
「あなた変わってるよね」
などと言うこと自体、意味がなく不毛だ。
むしろ自分の頑固さ、小ささを露呈しているようなものだ。
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〇「運転してほしい」
〇「荷物をもってほしい」
〇「ごはんをつくってほしい」
〇「本を買ってきてほしい」
こういう類いの物理的な会話の中で、多少の摩擦が起きることはやむを得ない。聞き入れたとしてもそうでないにしても「わかった。」もしくは「うん、あー。はいはい。」程度で片付くはずだ。
● 「運転疲れた事を察してほしい」
●「重い荷物は頼まなくても持ってほしい」
●「おなかが減ってるとわかってほしい」
●「本を読みたい気持ちをわかってほしい」
こういう類いの「脳内希望」は、ほぼ言葉として口に出されることはない。
「察してくれ」「なんでわからないのか」
という気持ちが先行して、相手が自分の思い通りにならない事に悶々としているのだ。
言葉にしても伝わらない、伝わっても少し違う感覚で伝わる事も多いのに、言葉で表現することもせず、態度や雰囲気だけで自分の気持ちを理解してもらおうなんて、相手を対等な人と思って接していない。
見下しているし、倫理観に欠けている。
「そちらの車線に入りたいので、ウィンカー出します、入れてもらえませんか?」
ではなく、ウィンカーも上げずに無理矢理車線変更しようとする無謀な運転手のようだ。
もしくは、
入りたい車線を走っている運転手から
「どうぞどうぞ、お入りください」
と言われるまでウィンカーも出さずに黙って待ってるか。
せめて意思表示はしないと、相手に伝わらない。
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「こうしてほしい」「気付いてほしい」
と必死になるのは時間がもったいない。
そして
「他人を変える、変えたい」という気持ちは、相手を自分の思い通りに動かしたいという幼稚な願望、それ以外の何ものでもない。
「私の気持ちを察し、それに基づいて行動できる相手」を
求めてはいけない。
そんな人は存在しない。
そんな人を求めるよりも、
◆自分の存在を認め、自分の考えに自信を持てばいい。
◆ 人によって話すことを変えてもいいし、態度を変えたっていい。
◆ 自分が無理なくそのひとときを楽しむために、自分を柔軟に変化させればいい。
◆ 自分の中のウィンカーを使って、都合よく方向を切り替えていけばいいのだ。
人との関係性も柔和に保てるし、自分のコミュニケーション能力はグングン上がっていく。
無駄に他人を説得するくらいなら、豊かなココロを育てる努力をした方が、人生数倍楽しくなる。
自分は自分。他人は他人。自分磨きに目を向けよう。
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