《グチを言いたいとき、イヤな事があったときは、人に聞いてもらいたくなる。それなのに、良い事があったときは人に分けようとしない。イヤな事はしばらくたてば忘れてしまうのに、人に話したがる、分けたがる。良い事があったときこそ、いっぱいいっぱい話をして、人に分ける方がずっといい。》

僕はあまり自分の話をしない。
聞かれたら答えるけれど、人の話を聞くことの方が多い。
グチを言いたい人、良い事や心配事を聞いてほしい人、自慢話、楽しかった話、イライラする気持ちなど、話の内容は千差万別だ。
最近、リクルーターとして一緒に行動する同僚は、
自分自身についてよく語る。
家族や両親の話、自分が学びたいことや将来のこと、「聞いてくださいよ~」と人懐っこく話をしてくる。
過度な自慢話は嫌みだし、自虐も過ぎると疲れてしまうが、その同僚のぶっちゃけ公開具合は丁度いい。そして必ず「こんな良い事があった」⏩「でも○○で困ってるんですよ」という「良い事」から「イヤな事」という順番で話すので、話の最後までいい印象が続く。
勧誘のため、リクルーターとして人と話をするとき、
最初の2分で自社の良い話をしたあと、問答を交わしながらイヤな事への不安を解消していく、というのはいい戦略らしい。
その同僚が、普段僕と世間話をするときにそんな順番を気にしているとは思えないが、仕事で培って身に付けた話術とも言えるし、もともと相手を思いやれる人なんだろうとも思う。この同僚の話はいつも聞きやすい。
僕が自分の話をしたくないのは、
良い話をしたら「イヤミなヤツ」、イヤな話をしたら「可哀想なヤツ」と思われそうという単純な思い込みがあるからだ。誰もそんなこと思わないだろうに、ぶっちゃけ公開具合の加減もわからない。
プライドが高いのか…。いや、ただの卑屈人間か。
ココロ豊かに。
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